中学受験で勝つために必要な武器
もしも中学校受験を目指すならば勝つための武器を準備しましょう。
中学校受験の試験の明暗を大きく分けるのが算数です。そして、国語の読解力が無ければ、問題を解く際の障害になってしまいます。特に算数の文章題は、読解力が必須となります。
算数を解く場合に必要なことは、しっかりと読解した文章を図やグラフに正確に書き移すことなのです。
日常会話では使わないような、わざと複雑で意地悪な文章が出されるので、書き移してから冷静に分析する必要があるのです。
次には、どの武器を使って解けるのかが頭に閃かなければなりません。日頃から沢山の問題を解いていれば、直ぐにピント来るようになるのです。あとは、公式と解き方のセオリー通りに解いていくこと。最後には必ず、確かめ算等で答えのダブルチェックをすることが必要なのです。
簡単なようですが、実際に上記のルーティーンをこなせるようになるまでの練習を繰り返さなければなりません。
四年生時の1年間を、個別に近い形でしっかりと習得した生徒達は、その後αクラス等の一斉授業にもしっかりと対応し、希望の難関中学校に合格をしているのです。
★面積図で解ける問題
①つるかめ算→片方に全部寄せて解く
②食塩水濃度算→おわすで解ける
③平均算→全部足して人数で割る
★線分図で解ける
④和差算→余りを先に除いてから分割する
⑤分配算→線分図で解ける
⑥年齢算→比率か数直線を揃える
⑦相当算→くもわで解ける→10➗10分の1が100
⑧倍数変化算→数量と比率の両方分かると解ける
⑨売買損益算→くもわで解ける
①⓪速さと比→歩幅の比✖️歩数の比
①①2量の関係
★速さの公式
①②旅人算→みはじで解ける
①③流水算→下りは流速➕船の速度
①④通過算→みはじで解ける
★仕事の公式
①⑤仕事算→1日当たりの仕事量を出す
①⑥のべ算→仕事算と同じ解き方
①⑦ニュートン算→1分間1個当たりの仕事を①に
★図を書く
①⑧方陣算→4隅を意識。等差数列で解く
①⑨時計算→短針と長針は1分で5.5°差が出る
②⓪植木算→手のひらの指と間を数える
②①消去算→加減代入法で一方の数量に置き換え解く
②②集合算→ベン図で解ける
②③差集め算→人数、個数、配り方を揃える
②④ダイヤグラム→旅人算をグラフに
②⑤場合の数→道順をグラフに書き込む
★公式に当てはめて解く
②⑥等差数列→55カレーの公式で解ける
②⑦規則性→インド式算数
②⑧フィナボッチ数列→隣合う数字の和が右隣の数
②⑨順列、組み合わせ→公式で計算する
③⓪整数の性質→素数は1とその数以外に約数を持たない数
③①倍数、約数の応用→連除法で解ける
③②いろいろな角→対頂角、錯角、同位角
③③三角形の外角→その外角以外の2つの内角の和
③④多角形の面積→正方形で囲む
③⑤円と扇形の基本→円の面積✖️角度➗360
③⑥多角形の内角→180✖️(n➖2)
③⑦図形の拡大縮小→形を変えずに長さを変える
③⑧線対象・点対象→中心との距離が全て等しい
③⑨相似の基本→長さの比、角が全て等しい
④⓪面積比→相似比✖️相似比
④①面積→直方体・立方体→縦✖️横✖️高さ
柱体・すいたい→底面積✖️高さ ✖️3分の1
水量と容積→底面積✖️高さ
代表プロフィール

好学尚武とは、文武両道とほぼ同意なのです。
学問も武道も同じ位好み、それを実践して行く姿勢を表す四字熟語なのです。
私は中学校から大学まで体育会でバレーボールに励んでおりました。息子が野球を始める前までは卒業後も続けておりました。当時、日本がオリンピックで金メダルを取れる種目は、体操かバレーボール位だったからなのです。また人間は強く無ければならないと本能的にも感じており、運動は大好きなので、一生涯続け無ければならないと決めていたからなのです。
一方で知的好奇心も強く、知りたいことが沢山あり、真の教育を受けたいと常に考えていました。
ところが、文武の両方を極めて行きたくとも日本の仕組みは窮屈で、それらを叶えるのは今でもハードルが高いと感じてしまうのです。
それを支援する仕組みを自ら作るために、私は好学尚武を始めたのです。
私は大学時代には、経済学部でエクセレントカンパニーの研究を行いました。私の担当がSONYだったこともあって「SONYは人を生かす」を読んだ時に、世界に羽ばたくブランドに大きな興味を持ち、将来は外国で働ける国際企業で働き、世界を知りたいと強く感じるようになりました。
SONYの故盛田昭夫社長は、今でも私が尊敬する日本人経営者のお一人なのです。
昔、盛田昭夫社長とエレベーター内で偶然にご一緒した際には、後ろ姿でしたが、独特のお声で直ぐに社長だとわかり、感激したことを思い出すのです。
就職活動の時期になると、大学ゼミナールの恩師の勧めもあり、当時は世界ナンバー2の穀物メジャーに就職することになりました。その際に就職を決定的にしたのは、尊敬する経営者の二人目にあたる日本マクドナルド社を創業した、初代社長の藤田田氏の「ユダヤの商法」でした。
藤田氏の考え方は、女性と口に入るものを扱うビジネスは一生無くならないと言うもので、とても大きな感銘を受けたのでした。
ニューヨーク州マンハッタンの五番街に本社が有り、将来アメリカで仕事が出来ると言うことで就職を決めました。世界中の国々から日本へ穀物を輸入する仕事で、世界中に出張し自分の目で確認し、世界中の人々と交渉をし、日本中の港に着けた大型貨物船を確認する仕事を通じて、世界を動かす大きな仕組みを学ぶことが出来ました。国際会議に参加した際に、日本人の交渉、アピールスキルの低さに衝撃を覚えました。また国際ビジネスでは常識のMBAを取得する為に、働きながら通える青山学院大学の大学院に通い、MBAを取得しました。
誤算としては、勤務して15年以上経った頃に、世界第2だった会社の輸出部門が無くなってしまった事でした。世界最大のカーギル社に吸収されてしまったのです。
転職をしなければならなくなったピンチの時に思い出したのが、IT業界でした。「ユダヤの商法」には書いてありませんでしたが、後に知った事実が、ソフトバンクの孫正義社長が高校在学時にアメリカ留学を決めた際に、アドバイスが欲しくて藤田田社長を訪ねに行ったことでした。
再三、面会を断られながらも5日間粘り続けて、遂にアドバイスを貰えたと言う逸話でした。
その時に藤田氏が孫氏にしたアドバイスは、これからはコンピューターの時代だと言うことだったからなのです。
そこで私もコンピューターに関連するIT業界に転職を決めたのでした。
IT業界の動向は絶えず激変し、特に外資系では朝令暮改が当たり前でトップの入れ替えも頻繁でした。そしてトップが変わると部下やスタッフまで総入れ替えのリボルディングドアの仕組みだったのです。私は企業の基幹システムのERP導入コンサルティングを中心に15年程働きました。
ERP導入をする企業の殆どがFortuneTOP500に入るような有名企業でしたので、一流国際企業を沢山訪問し、素晴らしい企業の方々と仕事をする機会を得ることが出来ました。
その間、たびたび転職を繰り返し、所属した企業の国籍はアメリカ、オランダ、インド、ドイツなど様々な国の人々や文化に触れて、貴重な経験をすることができました。
その中で特に印象的な経験は、憧れの日本マクドナルド社の藤田社長に新宿本社の社長室でプレゼンテーションをする機会をいただいたことでした。当時は指紋認証のシステムをマクドナルド全店に導入検討してもらうことでした。
藤田社長からは様々なアドバイスをいただきましたが、その中で当時は全く理解できなかったのですが、とても貴重なアドバイスを直接いただきました。
その意味を最近になってやっと理解することができたので、そのアドバイスは自分の宝として大切にこれからの人生に生かしていきたいと考えています。残念ながら、その内容については公開することはできません。