密約の罠

 世界の取り決めには、条約や公文書の交換が有りますが、文書化されていない「密約」が存在していることを忘れてはなりません。

これは、裏でロスチャイルド等のイルミナティが世界を支配する為に必要戦術として意図的に行っている行為でもあるのです。

①ヤルタ会談

ヤルタ会談は、1945年2月4日から2月11日にかけて、ソビエト連邦のクリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊にあるリヴァディア宮殿で開催された、イギリス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国による連合国首脳会談なのですが、ここで戦後の日本統治案が議論されて、中華民国を加えたイギリス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国の4国で日本を四分割支配する方向性が話し合われていたようなのです。ソビエト連邦は、この権利を行使する為に、後出しジャンケンで終戦直前に日本に戦線布告して北海道を奪いに来たのでした。

②サンフランシスコ平和条約 

サンフランシスコ平和条約とは、第二次世界大戦後の平和条約で、1951年9月8日調印、1952年4月28日発効。日本国と連合国各国の平和条約で、この条約の発効により、連合国による日本占領は終わり、日本国は主権を回復したことになっておりますが、実際には密約で日米安全保障条約とセットになっており、日本は表向きには独立しましたが、永久に米国の支配下に置かれることに合意してしまったのです。

その結果、米国は

①憲法強要

②復讐裁判としての東京裁判

③洗脳教育、自虐史観

を日本に押し付けて、未だに日本を支配しているのです。

③沖縄返還

第二次世界大戦終結以来、米国の統治下にあった琉球諸島及び大東諸島が、1972年に日本国へ返還されましたが、裏では当時の佐藤首相とニクソン大統領との間で「重大な緊急事態の際には、米国は再び沖縄に核兵器を持ち込む」という合意議事録をひそかに交わしました。この「核密約」は1994年以降、関係者らによって明らかになります。

日本へ核持ち込みを認めると言う密約があったと言われており、実際に米軍は核を持ち込んでいるのです。

④バーデンバーデンの密約

1921年10月27日、欧州出張中の岡村寧次、スイス公使館付武官永田鉄山、ロシア大使館付武官小畑敏四郎の陸軍士官学校16期の同期生が南ドイツの保養地バーデン=バーデンで来たるべき戦争に向けて、人事刷新と軍制改革を断行して、軍の近代化と国家総動員体制の確立、真崎甚三郎・荒木貞夫・林銑十郎らの擁立、陸軍における長州閥打倒、各期の有能な同志の獲得・結集などの陸軍の改革や、満蒙問題の早期解決、革新運動の断行を誓い合ったとされます。

⑤毛沢東とニクソン会談

1972年2月21日にアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが中華人民共和国を初めて訪問し、毛沢東中国共産党主席や周恩来国務院総理と会談して、米中関係をそれまでの対立から和解へと転換して第二次世界大戦後の冷戦時代の転機となった訪問です。中華人民共和国を訪問することを突然発表して世界を驚かせたことで、「ニクソン・ショック」と呼ばれています。

この会談では、核抑止に関する密約が交わされたとされているのです。

⑥周恩来と田中角栄会談

田中角栄(1918~1993年)が、戦後初めて日本の現職総理大臣として中国を訪問したのは1972年9月25日でした。中国の周恩来(1898~1976年)首相(当時)との首脳会談は4日間続きました。

周首相は日本に対する戦時賠償請求を放棄し、日米安保には触れないことを田中角栄首相に告げた。両国の話し合いは細部で厳しいこともあったようですが、途中、田中・毛(毛沢東、1893~1976年)会談を挟み、小異を捨てて大同につく方向で合意に向かって進みました。

そこでは尖閣問題の棚上げが密約されたとされています。見て見ぬふりが密約されたようなのです。

⑦池田内閣誕生

自民等内での首相順番の密約を元岸首相が自ら破って池田内閣を誕生させたらしいのです。

⑧習近平とトランプ会談

2017年の習近平とトランプ会談では日本封じ込めが密約されたと言われており、そのシナリオは円高を誘導し中国に貿易が有利に展開させると言うものだったようなのです。

現在では反対に、米国ドルを守る為に日本銀行が金利を上げない密約を実行しているのです。

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