引き際の美学

型で残さないことこそが、究極の引き際の美学なのだと私は考えます。

人には必ず引き際があります。

そして日本人の美意識として、桜のように潔く散る引き際を良しとします。また引き際は、人格、品格を表すものでもあるので、日本人にとってはとても大切なことなのです。

日本人がいかに引き際を大切にしているかは、ことわざにも現れているので、それらを見て行きましょう。

①立つ鳥跡を濁さず

ワールドカップサッカー等の国際試合の応援で、サポーターがスタジアムを後にする前に、掃除をすして帰ることが、世界中で注目されました。

それをきっかけに真似をしてくれる国も増えているようです。サポーターだけで無く、選手達もロッカールームを綺麗にして帰るのが日本選手達の常識になっているようです。

ことわざのように、立つ者の美学が日本人の心として習慣化されているのです。

後に残った人達のことを思う、思いやりの気持ちが現れているのだと考えます。

②切腹

武士の真骨頂は切腹にあります。

負けを潔く認めて、自ら幕を引く切腹は精神的な強さの象徴であり、美しい引き際を表しているのです。切腹により仇討ちの連鎖も防ぎ、汚名を晒されることも無くなるので、これも残された者達への思いやりが含まれているのだと考えます。

③ノーサイド

ラグビーから来た考え方で、試合中は敵同士で戦っても、ノーサイドの笛が鳴り、試合が終われば、敵も味方も無く同じ仲間達なのだと言う、清々しい引き際の為の素晴らしい考え方だと思います。映画戦場のメリークリスマスでの、敵味方が仲良くするシーンと同様の交流が、実際の日露戦争では行われていたようなので、同じ人間同士なので、たとえ一時的に戦うこともあっても、最後は仲良くすることが出来るはずなのです。

④投了(とうりょう、英語: Resignation、Surrender、Concede)

投了とは、将棋やボードゲームなどにおいて、不利な方が負けを認め、本来の対戦終了となる条件が成立するよりも前にゲームを終えること。

第三者が勝ち負けを判断する前に、自分から潔く負けを認めて、敗北を宣言することを言います。

正にフェアープレイの真骨頂で、美しい負け方だと感じます。オリンピックの金メダルを決めるカーリング競技の決勝戦で、悔しいのに笑顔でコンシードを宣言した日本チームには、本当に感動を覚えました。

⑤ 引退の花道

引退は美しいものでなければなりません。

その為の花道を周りの人々も準備、協力してあげることを含めて、この言葉が使われるのだと思います。綺麗に引退することが前提となっているので花と言う綺麗なものを冠として使うのだと考えます。

⑥OKパット

ゴルフの場合に、相手が最終パットを決める前にパットを認めて上げるのがOKパットなのですが、

これも紳士的な余裕ある振る舞いであり、美しい終わり方のひとつなのだと考えるので、ラグビー同様にイギリス人と日本人には共通する引き際の美学があるのかも知れません。

⑦禅譲

禅譲とは、君主がその地位を血縁者でない有徳の人物に譲ることなのです。

実際には、歴史上禅譲と称していても譲られる側が強制して行われていることが多いのだそうですが、自動車製造メーカーホンダ社の本田宗一郎氏はそうではありませんでした。

 経営は藤沢、技術は本田と分業して会社を躍進させましたが、本田氏はエンジンの水冷化に関して若い技術陣と意見があわず、藤沢に技術者としての進退を問われると自身の考えが古くなったと判断し、社長業に専念することをあっさり決断しました。

 また、1970年に4人の専務による集団指導体制に移行し、1973年に藤沢が副社長からの引退を宣言すると、「俺は藤沢あっての社長だ」と取締役最高顧問へと退き禅譲したのでした。

 老いた者には、老いた者としての立ち回り方があり、引き際があります。

そうした“よりよく老いていくための作法を磨く”ような意識も、「明日」のことを真剣に考えからこそ生まれてくるものなのかもしれません。若々しい考え方、進取の気質を貫いたからこそ到達できた、本田氏らしい老成の境地ではないでしょうか。

⑧完全燃焼

燃え尽きて引退するのが理想だと言う考え方も出来ますが、現実的にはなかなか思う通りにはなりません。自分を客観的に見られるかどうかが大切なので、周りからの助言も必要になるのかと考えます。完全燃焼と言う際に、自分本位になりがちので、周りとの関係や残された人々のことも考えてあげられるかどうかがポイントとなるのです。

⑨晩節を汚す

それまでの人生で高い評価を得てきたにも関わらず、後にそれまでの評価を覆すような振る舞いをし、名誉を失うことを表します。

名誉を失う中で、周りの人々に迷惑をかけることをしてしまったと言うことになるので、自分だけのことを考え始めるとそのような事態に陥るのだと考えます。

自分で美しい引き際を考えられない人が、そのような行動を起こしてしまっているのでは無いのでしょうか。

⑩戦争の引き際

歴史的にも大変重要でしたし、現在もこれが問われているのだと考えます。

始めたこと自体が間違いなのですから、引き際は早ければ早いほど良いのだと考えます。

長引けば長引くほど被害を受けるのは一般市民になってしまうからなのです。

引き際の決断こそがリーダーに求められ、周りも美しい引き際を、支援してあげなければならないのです。

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