意識とは
意識とは意味付けのことなのです。
そして自分とは、他者によって意味付けされ作られたものなのです
人生はゲームと同じように、自分と言う駒を動かしているモノなのです。
他人に意味付け洗脳された自分、自分自身でこうあるべきだと意味付けした自分が意識となっているのです。
それならば、本当の自分は何処にあるのでしょうか?本当の自分はハイヤーセルフと呼ばれ、自分の無意識の中に隠れてしまっています。
ハイヤーセルフにたどり着く為に必要なことは、
①自分の全てを隠さずに曝け出すこと。
②自分の悪いところも認めて愛すること。
③自分のメリットは他人にも分け与えること。
④インナーチャイルドと会話をすること。
自分が産まれた場所、昔通っていた幼稚園、小学校、青春時代の場所を訪れて、幼稚園や小学校時代の初恋や想い出に耽ってみてください。
残りの人生を自分らしく愉しむ為の自分探しの旅となるでしょう。
⑤もし場所が遠くて直ぐに行けないのであれば、
その頃観ていた、アニメ、ドラマ、映画、コンサート、写真、音楽、レストランチェーン等を体験し、本当の自分を探りあててみてください。
慶應大学大学院システムデザインマネジメント研究科の前野隆司教授は意識について、
自分が自分をコントロールしていると思っていたのに、実は決める前から決まっている。
自分が意思決定したと時間差で思わせているだけで、その時間差を埋めあたかも今、自分の意志で決めたと感じてしまう機能のことだと説いておられます。
ところで、ワーキングメモリーとは、頭の中にある仮ホワイトボードみたいなモノなのです。
このホワイトボードに、体験したエピソード記憶を上手に纏めてから、記憶の戸棚にしまって置ける人が頭の良い人、切れる人だと言えるのかも知れません。エピソード記憶はまとめる力であり、ワーキングメモリを強化し、構造主義の発想に役立ちます。
エピソード記憶が、個人的経験に基づく思い出で個人が体験した日々の出来事の記憶であり、時間や場所、および感情を伴ったものとして記憶されるのに対して、意味記憶とは、特定の場所や時間に関係せず、物事の意味を表わす一般的な知識・情報についての単純記憶のことなのです。
意味記憶を沢山しても難しい問題を解決することは出来ませんが、エピソード記憶が出来るようになると、それを応用することで、難しい問題を解決出来るようになれるのです。
構造主義とは、研究対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする特徴のことなのです。
一方でニヒリズムとは、従来の価値を乗り越えてゆくがために、従来の価値が無意味に感じられるということ。すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。
つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、新しい価値を能動的に創造していく生き方(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)のことなのです。
何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度が弱さのニヒリズム(消極的・受動的ニヒリズム)になるのです。
エピソード記憶が上手になることで、以上のような頭の使い方が出来る、賢い人間になれる可能性が高まるのです。
人々は、~しなくてはいけない自分と言う虚像を顕在意識として認識しているのですが、実際には、下記のような図式になっているのです。
本能>潜在意識>顕在意識(自分)>推論能力(理性)
つまりは、本能が一番強く、理性が一番弱いのです。そして顕在意識に自分を置いてしまっていることで、様々な不都合が生じてしまうのです。