私が憧れていたこと

 自分の幼い頃と対話することは、インナーチャイルドの扉を開くことにも繋がります。

 本当の自分を振り返り、リラックスして、幸せな気分にもさせてくれるものなのです。

そこで、私自身が幼い頃にいったい何に憧れていたのかを振り返ってみることにしました。

①映画

1960年台に観ていた映画は、1965年のガメラシリーズ第二弾のガメラ対バルゴンあたりから始まり、1967年黄金バットが記憶に残っています。

1970年代になると、1973年、ブルースリーの燃えよドラゴンからブルースリーにハマってしまいました。

②グループサウンズ

先ずは、タイガースやテンプタースと言ったグループサウンズの全盛期でした。

初めて買ったレコードがタイガースの「君だけに愛を」1968年1月発売でした。同年4月に公開されたタイガース主演の映画「世界はボクらを待っている」も勿論見に行っています。当時は西宮北口の近くに住んでおり、梅田まで見に行ったと記憶をしています。ジュリーやショーケンが憧れの人物でした。

③オリンピック選手

オリンピックが憧れの的で、金メダルを取っていた体操選手には、憧れていました。

自負自身が体操に関わるチャンスが有りませんでしたが、もしチャンスが有れば絶対に体操を始めていたと思います。

1968年のメキシコオリンピックや1972年のミュンヘン オリンピックは熱狂的に応援をしていたことを思い出しますが、1968年の時代にはまだ白黒テレビしか自宅には無かった筈なので、本格的に自宅のテレビで応援出来たのは、ミュンヘンオリンピックからでした。結局、中学校に入るとミュンヘン オリンピックで金メダルを取ったバレーボールを始めることになりました。松平監督はじめ、金メダルメンバーが憧れでした。

④プロ野球

1960年代前半には、西宮の幼稚園に通っていたので、西宮球場の阪急ブレーブスを観に行っており、1965年からは読売ジャイアンツV9の黄金期だったので後楽園球場に連れていって貰いました。本塁打王の王貞治選手、400勝投手の金田正一投手が憧れの選手でした。学校の休み時間や放課後帰宅すると野球で遊んでいたことを覚えてみます。

また当時から有名だった調布リトルリーグは憧れのチームでしたが、当時は練馬区に住んでおり、通うチャンスもありませんでした。

⑤テーマパーク

現代のディズニーランドがまだ出来ていなかった頃、子ども心に楽しんでいた夢の世界は、宝塚ファミリーランドでした。今はもうありませんでしたが、ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」に相当する

また、甲子園球場隣のららぽーと甲子園が、昔は阪神パークと言う名前で動物園付きの遊園地でした。ライオンとトラの混血児のレオポンは子ども達のアイドルでした。

⑥大阪万博

太陽の塔をシンボルに1970年に開催された大阪万博は、人生に大きなインパクトを与えたイベントでした。子どもにとっても、明るい未来、最新の技術や世界との交流を期待して、子どもながらに大きな夢を膨らませていたことを覚えています。

⑦外国

1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博には、沢山の外国人が訪れて来て、それが大きな刺激になったみたいなのです。

将来は外国に出て仕事がしてみたいと感じていたのだと思います。

その後、1982年にハワイに初めて旅行することが出来るようになり、大学卒業後はニューヨークを本社とする外資系企業に就職することとなりました。まだまだ外国には行ってみたいので、世の中が落ち着くのを楽しみにしています。

⑧自然

自然に対する憧れは、幼い頃からありました。

六甲山、甲山、須磨海岸は自然が溢れ、記憶に残る場所でした。沢蟹やトンボを追いかけていた記憶が強く残っています。

動物園は、王子動物園、上野動物園、須磨水族館等、子ども達の記憶から消えることが無いほど、重要なインパクトを与えてくれるのです。

自然や動物に対する憧れは一生モノだと今更ながら感じています。

⑨アニメ、特撮

白黒放送のウルトラQ1966年から、カラー放送に変わったのが1967年ウルトラマン登場の頃でした。夢中になって毎週観ており、その後は仮面ライダーや超人バロム1等の様々な番組に熱中していました。

アニメでは、1965年のスーパージェッター 、1966年に初代白黒放送のおそ松くんが始まり、その後は、マッハGoGoGo、ゲゲゲの鬼太郎、巨人の星と続いて行きました。

巨人の星以降は、スポ根ものが柔道一直線等の実写ドラマに発展して行きましたが、我々の世代を精神的にも肉体的にも強くしてくれたのは、スポ根もののお陰なのだと強く感じています。

 海外の有名サッカー選手達がキャプテン翼にインスパイアされて育ったと言う話を聞く度に、スポ根ものが、子ども達の憧れを生み出すのだと、つくづく感謝してしまいます。

⑩車

子どもの頃から、ミニカーを買って貰い集めるのが楽しみでした。当時は外車のジャガーや国産のパプリカ等を集めていました。

70年代のスーパーカーブームには乗りませんでしたが、ブルーバードやその後はスカイラインに憧れていました。初めて我が家に来たのは日産サニーだったので、今でも思い出の詰まった車なのです。

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