藤原不比等が隠したかったこと

日本では、古事記と日本書紀が最古の歴史書とされています。
しかしながら、藤原不比等が藤原氏の有利になるように、内容を書き変えていることも、半ば当然の事のように考えられているのです。
それでは、藤原不比等が隠したかったことは、いったい何だったのかを推測してみましょう。
秘密主義を採るのは、悪党の常套手段なので、秘密主義を採る人間達については、その時点で悪党と見做すことが安全なのです。
先ずは、
①藤原氏自身の出自を隠したかった。
もし本当に由緒正しい家柄なので有れば、もっと明確な歴史の記載があって然るべきなのですが、ありません。
唐からの渡来人であることを隠したかったからなのだと考えます。出自を神話化することで誤魔化しました。
②中臣家に背乗りした
本当は中臣氏でも無いのに、中臣氏の名前だけを使わせてもらったことは、中臣氏の出自も今ひとつ不明瞭なことからも分かります。もし自分の祖先で有れば、もっと詳しい歴史を把握していたはずだからなのです。
③本当の日本の歴史は世界で一番古く長い。
ただし男系万世一系では無く、王権を繋ぎ合わせて来た筈なのです。卑弥呼が女王になっているように、女系での血筋も大事にされているように、矛盾が生じています。
④蘇我氏や物部氏が元の天皇家で、藤原氏が秦氏と共謀して乗っ取ったようです。
天皇家も含めて、古事記や日本書紀で悪者扱いされている人物は、本当は逆で、功績を隠す為に悪者扱いされていると考えると、歴史を読み解く大きなヒントになるのです。
⑤ 旧大和王朝、富士王朝、九州王朝の存在を封印した。富士山が古事記や日本書紀に出て来ないのも不都合だからなのです。富士王朝は日本でも最大級の勢力だったと考えられるのですが、幾度かの大噴火により消滅してしまったのだと考えられます。
藤原不比等は竹内文書の調査に富士山を訪れたとされていますが、遺跡や歴史書が噴火によってほぼ全滅してしまった為、証拠になる物件が無いことが藤原氏にとって幸いしたようです。
その後、竹内文書は焚書扱いされて、歴史の表舞台から抹消されてしまいました。
⑥藤原氏は唐の則天武后との血縁関係があった。
藤とは唐のことで、唐から与えられた氏なのです。
藤原氏が、異常な程の権力を持ち、藤原不比等自身も王子の様な扱いを受けて育っていることからも、裏からの権威があったことは明らかなのです。
それが、唐からならば歴史の謎がすんなりと解けるのです。
⑦当時の日本は、唐の則天武后の傀儡政権でした。
天武天皇の都なのに藤原京と呼び、東大寺は唐大事と言うこと。仏教は藤原氏主導で広めたようなのです。
⑧神功皇后が則天武后のモデル、また卑弥呼でもあり弥勒菩薩でもあり、本当の女系支配者でした。
⑨聖徳太子は蘇我氏の功績だけを残す為に、象徴的に登場する人物であり、蘇我氏の歴史書は全て、焼却されてしまいました。
⑩漢字、仏教、科挙制度導入も則天武后の政策であり、
乙巳の変のクーデターで、日本の政権が唐に奪われたことを、象徴しているのだと考えます。
藤原氏の悪事を証明する証拠は隠蔽されてしまっているので、外濠を埋めながら、歴史の核心を浮き上がらせて行くことが、本当の歴史を知る手掛かりとなるのです。

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