大和撫子七変化

江戸時代より貝原益軒氏の子女教育書「和俗童子訓」や「女大学」といった思想書が著されてきました。
それは「大和撫子」としての心得の基本中の基本、いわば日本人子女教育における聖書とも言えるのです。
「和俗童子訓」のさわりを引用すると、【女児はひとえに、親の教え一つで育つものである】父母の教え、怠るべからず。親の教えなくて、育てぬる娘は、礼儀を知らず。女の道にうとく、女徳をつつしまず、かつ女功の学びなし。是れ皆、父母の子を愛する道を知らざればなり。【幼児より女徳を養い育てよ】およそ女は、かたちより、心のまされるこそ、めでたかるべけれ。女徳を選ばず、かたち(容貌)を本としてかしづくは、いにしえ今の世の、悪しき習わしなり。女の徳は和・順の二を守るべし。和らぐとは、心を本として、かたち・言葉もにこやかに、うららかなるを云う。順(したがう)とは人にしたがひて、そむかざるを云ふ。といった内容になっているのです。
ところで、女性の美しさをたとえる言葉には「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というものがありますが、それと並んで日本女性の清楚な美しさを表す言葉に「大和撫子」があります。
「和服姿の凛とした女性」、「ナデシコの花のように、繊細で可憐だが芯は強い女性」「凛として上品で清らかな女性」「控えめで男性の一歩後を歩きサポートする女性」が「大和撫子」のイメージではないかと考えます。
悪の手口には、決して洗脳されずに「自分の頭でしっかりと考える事が出来る」女性。
「ヴィジョン」の切り口で考える七変化。
正直で誠実、おおらか、しかれる、甘える、おもいやり、気配り、子供好き、家庭的で世話好き、ゴージャス、自信、コントロール、マナー、モラル、たしなみ、立てる、自立、大胆、素敵、笑顔、支え、きっぱり、綺麗好き、プラス思考、料理、尊敬、働き者といった言葉でも形容出来るのではないでしょうか。
「雌鳥歌えば家滅ぶ」とは、(妻が夫を出し抜いて権勢をふるうような家はうまくゆかず、やがて滅びる)という例えなのです。
江戸時代の美人の条件は「小意気」「小奇麗」「小確り」でした。
「小意気」とは、いきいきとして、気持ちに張りがあること。やる気の無い様な態度はダメなのです。
「小奇麗」とは、さっぱりとして清潔なこと。うすよごれた雰囲気ではいけないのです。
「小確り」とは、体の芯がシャンとして、しっかりしていること。姿勢が悪いのはいけないのです。
いずれも「小」の字がつくので、小さいとか少しというイメージでとらえている人も多いようなのですが、むしろ大きく、その要素をたくさんもっている人のことなのだそうです。
礼儀正しさ、行動力、危機管理能力、柔軟な発想力等、遺伝子の立場から見ると、男性は「家系」を残して行こうとするのが使命なのに対して、女性はより良い「人類」を残して行く事が使命なのだと私は捉えています。
そのような中で、日本女性による将来の選択は、人類にとっても大きな影響力が有るのです。
今後の日本人女性が、どんな考え方で「生きて」どのような哲学で「伴侶」を選ぶのかが注目されるところとなるのです。
そして、女性の美しさとは何でしょうか?
イスラム教徒の女性は、コーランに「美しいところは隠しなさい」と書かれている為、ブルカ、ニカブ、ヘジャブ、チャドル等の全身を覆い隠す服装をしています。
顔や手は隠さないので、美しい所は、おそらく髪か、肌か、胸と想定しているのでは無いかと推測されるのです。しかしながら、本当の美しさはとは、その奥にある「心」なのだと考えます
「心」は、隠す必要無いものですから、堂々と見せて欲しいのですが、残念ながらそれは「ヴィジョン」のある人にしか見えないものでもあるのです。
見えなくても、そばに居なくても、通じ合える関係こそが、理想的な人間関係と言えるのではないでしょうか。

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