ボランティアポイント
前項では、お金にとらわれない生き方を述べて来ましたが、お金儲けだけが仕事の目的ではありません。
「本物の仕事」とは、強制的に労働を強いられる事では無く、自ら進んで、好きな事や、得意な技術を通して社会の為に貢献する事だからなのです。
人々は仕事を通じて、人々と繋がり、楽しさを感じ、人や社会に貢献する事で喜びを感じ、仕事を達成した事で、達成感と言う満足を感じ、それらの仕事を通じて、最終的には「生きがい」を見い出すことが出来るのです。
それが分かれば、人間はたとえ会社や役所を退職して自由な時間が増えたからと言って、必ずしも幸せになれるわけでは無い事にも気が付くのです。
ですから今までより、さらに自由に自分の好きな分野や得意な分野で活躍出来る機会を、求めるようになるのです。
つまり自由とは、時間が沢山ある事では無く、自分の意志で好きな仲間たちと、好きな物事に取り組める機会のことなのです。
そのように考えると、日本の政策で重要なポイントは、ボランティア活動をどのように社会で生かし、既存の営利を目的とした仕事との棲み分けを行うか?という事になって来るのです。
また、ボランティアで協力してもらった価値を、どのように社会や働き手に還元するのかが、重要となって来るのです。
そこで私が提案したいのは、「ボランティアポイント制度」なのです。
ボランティアをした仕事の成果を、ボランティアポイントとして電子マネーのように携帯端末に蓄積する事が出来る制度の事です。一部の医療機関では、既にこのような仕組みが行われているらしいです。
将来、自分が介護などでボランティアのお世話になるなど「サービス」を受けたい時には、それまでに自分が貯めていたボランティアポイントを使って、サービスを受ける事が出来るという考え方なのです。
考え方の基本は「若者が老人の面倒を見る」社会では無く、「老人が老人を支える社会」という考え方になるのです。
一方では、日本全体で大家族制度の復活を見直すことで、家庭内では「老人が子供たちや若者の面倒を見る」「若者が老人の世話をする」機会も当然増えて来るのです。
ボランティアポイントには、お金が発生しませんし、もし亡くなってしまったら、ボランティアポイントは消滅するので、政府に負担がかかる事もありません。
過去の国鉄民営化等事業でも、明らかとなったように、国の組織が硬直化し赤字化したものが、民営化したとたんに効率化、黒字化したのは硬直性を排除した事での当たり前の結果だったのかもしれません。
それは、今の中国が抱える大問題でもあり、共産主義の社会主義国家が上手く行かなくなり、崩壊した理由とたいへんよく似ているのです。
そのような観点からすると、公務員等の役人の仕事は出来るだけ民間企業やボランティア活動へと切り替えて行く事で、日本国の財政赤字は大幅に削減する事が可能になると考えられるのです。
第一に、生産性の低い人員の首を切れない組織など、まともな組織とはなり得ませんから、どこの世界でも生き残る事ができないのです。それなのに、そんな組織に高額の生命維持装置を付けて、生かしているような状況が実在しているのです。
どんな生物や細胞組織にも、腐敗して腐ってしまった細胞(社員)が存在します。
そのような細胞は自ら破壊し、新しい細胞と入れ替えて生命を維持しようとする、ホメオスタシスの機能が働くのが生物の仕組みなのです。もしも、入替がスムーズに行かない組織があれば、その組織は存続が出来なくなるのです。
日本の民間企業では、100年以上存続することが当たり前となっているのですから、公的な組織についても本来は同様の仕組みが必要なのです。
ところで、ボランティアポイント制度を成功させるためには、必要な仕事を定義し、切出し、割り当てて、管理する仕組みを作る必要が有るのですが、それが出来たなら、ボランティアポイントが活用できる範囲は、無限大に広がって来るのです。
例えば、奇抜なアイディアとはなってしまいますが、ボランティアポイントで、マナーの悪い人に制裁を与える事が出来るという仕組みも考えられるのです。
かつては、マナーの悪い人間に対しては、お年寄りを始め勇気のある人間が、堂々と注意をしていましたが、現代においてはマナーの悪い人に注意をすると、逆恨みをされるという、嫌な状況がしばしば発生しているのです。それは、利己主義と権利を取り違えている若者達が増えて来てしまっているからなのです。
そのような人々に対して、自分のボランティアポイントを使って、忠告する事が出来るという制度を考えてみたいのです。もしもマナーの悪い人がいた場合に、スマホ等の携帯端末経由で注意が出来るようなアプリを開発するのです。注意をした方は、程度に応じて自らのボランティアを設定し消費するのです。
一方で注意された方は、設定されたポイント分だけボランティアポイントが減らされるという事になるのです。
たとえボランティアポイントが減っても、借金になるわけでは無いので、その人が破産する事はありませんし、直ぐに生活に支障をきたす訳でもないのです。
しかしながら、将来的には受けられるサービスが減少するというペナルティが与えられるようにするのです。
そして、このような仕組みを導入した場合に、結果としてプラスの恩恵を得られるのは国家になるのです。
また、公務員や国立大学に入る条件として、一定のボランティアポイントを収めると言う方法も有りだと考えます。勉強が出来るだけでは無く、国家の為に奉仕できる人間こそが、本来は公務員や国立大学に入るべきなのですから、組織に加わる条件として、一定のボランティアを課すことは、何ら不思議では無いと考えるのです。この考え方の基本となる経験が、私の記憶の中にあるのです。それは、私が愛知県で過ごした小中学校時代のお茶摘みの農業奉仕体験になります。
年に2日ほど、学校行事としての茶摘みがありました。茶摘み作業は、学校活動としての勤労奉仕ではありますが、職業体験と同じ事にもなるのです。
これらの奉仕は、勤労や農業に対しての自らの勉強にもなるし、地域社会への貢献、また得られた報酬は学校の教育財源として活用できるのですから、一石二鳥以上でこの上ない制度だったのです。
このように、もしお金に余裕のある学校ならば、そのお金は寄付する事も出来るのですから、それらのボランティア活動を、学習の一環として有効に活用すれば良いのです。お金ばかりを基準にして、政策を考えているようでは、国家の赤字財政は何時まで経っても解決できないように感じてしまうのです。
それよりも、国民の生活をどのように改善して行くかと言う現場主義の視点から、政策を立案して行けば、お金に頼らない方法での解決策を見出す事が出来るのではないでしょうか。