世界一が集まる日本一の場所に遷都セント

世界で一番のお宝・財産は、やはり何と言っても人財においては他にないのです。
そして、日本は世界のエネルギーが集まる「おへそ」のような場所なのだから、そのおへそには、世界一の人財を出来る限り大勢集めて欲しいのです。
世界一の環境とは、世界一の人財が集う環境の事なのです。
世界一流の人財と勉強、仕事、スポーツを行う事で、そこに新たな世界一流の人財が生まれ育って行くのです。21世紀にもし戦争が起こるとすれば、それは頭脳戦となるでしょう。
クラッカー(悪いハッカー)を防ぐためにハッカーが必要なように、頭脳戦争を防ぐためにも優秀な頭脳を集め、悪さをする連中を防がなければならないのです。
そして、その為の環境を整えるに、24時間体制年中無休で世界一の、大学、大学院、病院、研究機関、企業の研究ラボ、国際会議場、日本版シリコンバレー、スポーツリゾート等の国際特区を設立し、奨学金や補助金を与えて、世界中の優秀な人材を集めて欲しいものです。
それらの優秀な人材が、長期的に日本で働いてくれればそれに越したことは無いのですが、必ずしも長期にはこだわらずに、サマータイムや一週間程度のインターンの仕組みを活用し、世界一の人材が少しでも多く、長く日本に滞在して、日本の発展し貢献して貰えるような仕組み作りを推進して欲しいものです。
当然ながら、海外からの優秀な留学生に対しては、特別な環境と条件を用意して、世界中から優秀な人材が日本に来て、大事な事を吸収しやがては日本、祖国の為世界の為に貢献して貰えるように対策を取る事が、大変重要になるのです。
そこでの共通語は、もちろん英語でなければなりませんし、全てのモノ事は、世界標準としなければなりません。ですから、日本の優れたシステムを、出来るだけ多くの分野で世界標準に押し上げる努力も益々必要となって来るのです。
戦後の日本教育は、横並びを重視し同一学年の繋がりを大事にして来ました。
また、高度経済成長期においては、一つの事が特別に秀でているよりも、全ての事を卒なくこなすジェネラリストが珍重されて来ました。
しかしながら、本当に優秀な人間は、人と違って「飛び出ている」のだから、それを伸ばしてやるために、何か一つに秀でている者を尊重し、さらに学年を飛び越えて、飛び級出来るような仕組みが、日本にも必要とされて来ていると考えるのです。
社会においては、年功序列という考え方が、「日本的経営の三種の神器」のひとつとして上げられて来ました。確かに経験も大事なのですが、現代のスピード時代にも対応すべく、人より秀でている力を、年齢を度返ししてでも評価する「能力主義」がより重要になって来ているように考えます。
今後の日本は「能力主義世界一」で硬直化を排除し、スティーブ・ジョブズのような有能な人材の誕生を後押し出来るような、管理、移動、減給などの流動化を高める政策、完全な能力主義の時代が望まれるのです。
もともと日本人が、年功序列という考え方を続けて来たのにはいくつかの理由があったのです。
①特に職人の世界では、暗黙知を重要視する世界ですから、年功が高いほど暗黙知の蓄積量が多いという考えなのです。一つの製品を、とことん極めて世界一の完成度まで高めて行く日本の職人には、当然ながら日々鍛錬の積み重ねと、長年にわたる習熟が必要とされていたから、経験が長い者の方が上だと言う考え方になるのです。
②また公平性と言う観点から、年功と言う評価基準を設けて抽象的な判断を除外し、全体からの不満を抑えて、全体としての納得性を高めたのです。
③高度経済成長期には、成長を優先する為にも絶対的多数を占める若者の給与を抑え、支払いを先延ばしする事が必要でした。年功序列賃金により、企業の成長力を優先的に高める事に成功したのです。
④裏社会の話を見て来た通り、コネクション・人脈で動いてしまう社会では、支配層だけに富が分配され社会全体が硬直化してしまうのです。
これらを防ぐためにも「能力主義」と言う新たな「評価基準」が21世紀には重要となって来るのです。
それでは「出来る人間」、能力」とは、いったいどのような事を意味するのでしょうか?
その一つとして、「今まではありませんでしたが、有るととても便利な、仕組みや製品やサービス」を、独創的なアイディアで「生み出していく能力」こそが、21世紀に求められる能力なのです。
もう一つは、ビッグデータやカオスと化した雑然とした情報の中から本当に大切で必要なデータを取り出し、組合わせて新たなデータや製品、サービス、ソリューションへと展開して行くデータアナリストのような「開発能力」が評価されるべき能力だと考えるのです。
そして「出来る人間」がどんどんと育つようになれば、日本からもスティーブ・ジョブスのような、創造的な企業家が大勢出て来て楽しみになるのです。
しかしながら、現在の大手日本企業の新卒一括採用、人事部の仕組みについては「出来る人間」の基準がかなり歪んでしまっているのです。
人事部の人間も、所詮はサラリーマンなので、減点主義的な発想で、安全な採用を行ってしまっているのが現状なのです。
本当は「独創的」で「出来る人間」を採用したいとは思っても、なかなか冒険が出来ないのです。
安全や保険を掛ける為に、学歴、成績、家族、コネ、資格等がしっかりしている事が優先され、たとえ「独創的」で「出来る人間」と分かっても、組織からはみ出すような「尖がった人間」は採用をしないのが、一般的なのです。
また、自分の意見をはっきり言えない人間は「社会では使えない」のですから、何十社、何百受けても結果は同じとなるのです。
反対に「自分のやりたい事」、「やるべき事」がハッキリと言えて、「実行できると」思われた人間は、何社受けても合格になるのです。
ここで一つだけ言っておきたい事は、「本当にやりたい事」がある人間は、世間体を気にしたり、企業の大小や名前等の安定性で判断するのでは無く、「本当にやりたい事」が出来そうな会社に入って欲しいと言うことなのです。
「能力主義」の「評価基準」を明確に公表し、またIT技術を有効利用して、公平で、論理的かつ納得性のある評価基準を示す必要が有るのです。そして、出来る人間は「悪の手口」には決して騙されない事も、忘れてはいけないのです。

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