トランセンデンタルへ

私は、日本の若者達へ呼びかけたいのです。
「君達は、お金の為なら大企業の歯車になってしまっても良いのですか?」
「君達は、リスクが少ないから、公務員を目指すのでしょうか?」
欧米やシンガポールの場合、大学新卒生の高級官僚や軍隊幹部の初任給はと待遇は最高レベルに設定されています。ですから優秀な人材がそこには集まるのです。
しかしながら、日本の官僚は本当に可愛そうなのです。どんなに優秀でも、年功序列の精神に乗っ取り、重要な権限は与えられずに、低めの初任給と待遇が与えられているのが実情なのです。
一方で日本の製造業は、経営者の立場から見ると素晴らしい仕組みなのですが、こちらも年功序列の賃金体系と待遇が与えられており、生かさず殺さずの生殺し状態に置かれてしまうのです。
もしも私が、日本一の製造会社の社員で働けと言われても、それは絶対に嫌なのです。
日本の多くの製造業は、毎朝幹部が正門に整列し、社員全員に朝の挨拶を行ったりをしております。
そして、全員で朝の体操を行ってから一日が始まるのです。かつて私が外資系の企業に勤めていた際に、世界でも誰もが知っている企業にエンジニアを派遣したのですが、ラジオ体操がバカ馬鹿しくて、そのために出社を拒否した外国人社員が居たのを思い出してしまいます。
どうやら外国人から見ると、とても気持ちが悪い習慣のようなのです。
私は、日本の若者たちに、再び呼びかけたいのです。
「君達は、世界平和の為に、縁の下の力持ちとなろう。」
「国と国、人と人の間に立って、皆が仲良く協力できるように助けよう。」
「正しい情報を世界中の人々に届けよう。」
「新しい仕組みや技術や製品を開発し、世界中の役に立って行こう。」
「日本人の武士道精神も世界中に広めよう。」
「日本と日本人の文化と伝統を世界中の人々に見て貰おう。」
「自分が貢献出来る世界を見つけよう。」
もしそれらが、誰もやった事の無い事であれば、さらにチャンスは大きい筈なのです。
そして、一旦始めたのならドーバミンが溢れ出る最後の最後まで、諦めずに続けて欲しいのです。
「最後まで続けて、絶対に世界一を目指そう。」
学歴や資格は、入場券のようなものなのです。もし入りたい場所の入口を入るには、入場券が必要になります。
「一旦組織に入ったら、実力と実績が全てとなるから、人より秀でた技術や技能を身につけよう。」
「これからの世の中は、英語は出来て当たり前となるから、英語以外にも、得意な分野を増やしておこう。」
君達は、「たとえ明日死んでも後悔しない生き方」をしているでしょうか?
本当に「自分を愛し、正直に、精一杯生きているでしょうか?」
そして、「自分が何のために生まれて来て、死んでいくのか」という「人生の意味」を自覚しているでしょうか?
残念ながら、ほとんどの日本人がこれらの人生において最も大事な事柄を認識もせず、また実践して来ていないのが現状なのです。
逆に、日本人は今後、世界の見本となれるように高い品格と教養を獲得し、ノブレスオブリージュを果たして行かなければならない立場にある筈であるのですが、そんなだらしないことで許されるのでしょうか?
これらの、いい加減で曖昧な現状を解決し、日本人の中でも特に未来を背負う若者達に、しっかりと確認をしておいて欲しい事を、これから確認して行きたいのです。
私は、「人生の意味」は「自分の好きな分野や得意な分野で、世の人々の為に貢献する事」だと考えています。 好きな事と言うのは、神様から与えられた使命でもあるのです。その与えられた使命を、一生追求し高めて行くこそが、私達が生まれて来た理由ではないのでしょうか。そしてそれを「創造力」と呼ぶのだと考えます。
そして、自分の肉体が死んで無くなってしまっても、自分が残した成果とその貢献が、継承され続けるように形にして残して欲しいのです。
その為に人は生まれて来たのだと考えられるのです。
そして「たとえ明日死んでも後悔しない生き方」とは、「人生の意味」を実現する為に行っている、毎日の「姿勢」なのだと考えます。
目標を実現する為に、毎日全力で努力を続ける「生活習慣」であり、その「姿勢」こそが最も重要なのですから、ゴールに向かって全力で進むことが出来れば、たとえ事故や病気で死ぬことがあっても、幸せな人生が送れるのだと考えるのです。
そして「自分を愛し、正直に、精一杯生きる」という事は、人を愛し、人の為に自分の技能を提供し、全力で奉仕する事でもあります。
自分が好きだからこそ「人を愛し」、自分が幸せになりたいからこそ「人に尽くし」時にはお金も欲しいからこそ「人の為にお金を使う」のです。
ここから人生の好循環が始まるのです。
自分の事ばかり優先するようでは、自分を追いつめる逆の結果となってしまいます。
例えば、貧困な国々の人々は、貧困だから子供を沢山生み、その為に益々国が貧しくなると言う、悪循環に陥りがちなのは、その典型例なのです。
それらに気が付く事が、成功の為の最大の要因であり、その為には「教育」が必要なのです。
さて、「人生の意味」が分かったところで、今度は「何を基準とするのか」について確認する必要があります。
それは「心眼」を通して「ヴィジョン」として見えてくるものそのものなのです。
それは、仏教用語では「悟り」「至高」と言う言葉で表現されるものであり、現代の概念で言うところの「トランセンデンタル」や「宇宙の意思」と表現できるものなのです。
それは、山に例えると頂きであり、例えばエベレスト山の頂上をめざすようなものなのです。
「人はなぜ山に登るのか」の本当の答えは「そこに山があるから」では無いのです。
「それが人生そのものだから」なのです。
徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」
そしてその為には「どのように行動すべきか」については、まさに「武士道精神」が模範となります。
「武士道精神」には、人間としての「姿勢」「志」「礼儀」が凝縮されています。まさに日本人が貫くべき精神なのです。
ですから「後悔しない生き方」を貫く為には、自分が本当に得意なモノ、好きなモノを見つけ出して、真直ぐに取り組む事が求められるのです。
出来るだけ若いうちに、様々な経験をしてみて、自分が本当にやりたい事が何であるのかを見付ける努力をして欲しいのです。
得意なモノを見付ける為には、ポジショニングが重要になります。
自分の立ち位置が、業界内で、会社内で、部署内でどのようになっているのか?を絶えず鳥になったつもりで、大空から「俯瞰」してみる事が大切です。
立ち位置によって、自分が必要とされたり、効果的であったり、またその逆となったりするからなのです。
自分の価値とは、絶対的なものでは無く、周りとの関係性で初めて自分の価値が決まって来る相対的なモノで有る事を認識して、判断するようにしてください。
そして、ひとたび自分のやるべき事が判れば、後はその頂点を目指して「山道を最後まで登り続ける」事こそが大切になり、それこそが君達の人生になるのです。

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