根はおおらかな日本人

江戸時代には士農工商の身分制度が確立されていたために、職業の世界では身分の違いではっきりと線引きがされていたようなのですが、学術や芸術の世界では、社会的な身分は無視され、実力で勝負できる土俵があったのです。
学術の世界では、身分が高いものが低いものに弟子入りする事もあり、自由でおおらかな社会となっていたようなのです。ですから本来の日本人は、とてもおおらかな民族だったと言えるのです。
そして、武士の世界だけは貞節を強く重んじていたようなのですが、全体の8割以上を占める庶民の世界では全く違っていたのでした。
「おおらか」の定義は、「小さな事にこだわらない」「直ぐに怒らない」「大きな視野で物事が見れる」ことなのですが、江戸時代の女性は、現実は意外にも自由奔放で地位も確立されており、男性に対しても驚くほど平等かつ自主的だったのです。
江戸時代における性は、男女の和合を保証するよきもの朗らかなものであり、従って恥じるに及ばないもの、男女の営みはこの世で1番の楽しみと同時に、おおらかな笑いを誘うものでした。
当時の日本人にとっての性意識は、ことさら意識的である必要のないほどあっけらかんと明るく、のどかな解放感で満ち溢れていたのです。
そんな様子だったから、遊女や売春を幕府が保護して社会もまたそれを恥と思っていなかったのも、なるほど納得できるのです。
幕府は、遊郭に対して保護と監督を行い、身売りされる当人や家族も嬉々として献身し、身分の高い人が客をもてなす社交の場でもあったのです。
売春の淫靡さや、陰惨さはどこにもなく、祭りのようなあっけらかんとした明るさが漂い社会の中で肯定的な位置を与えられていたのです。
日本では性は神聖なものとされ、盆踊りのほか、念仏講、御詠歌講、神社の祭礼など民衆の宗教的な行事の中心には、日常的な営みとは違う聖なるセックスがあるべきだと考えられていたようなのです。
風俗史家の下川耿史氏が詳述しているように、盆踊りは性的な乱交パーティーでもあったのでした。そして、日本中を熱狂で揺るがすようだったかつての盆踊りの隆盛は、性が解放されるエネルギーそのものを原動力にしていたのでした。
面白いことに、伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ道沿いには多くの女郎屋が軒を連ねていたそうです。
そして伊勢神宮だけでなく、巡礼地の神社がほとんど常に女郎屋に囲まれていたのでした。それは、精進落としのためだったのです。
買春、売春は決して後ろめたく薄汚いものではなく、まさにこの国では宗教とも深い関連を持っていました。
そして性は、生命のよみがえりと豊饒の儀式でもあったのです。
礼儀正しく謙虚でつつましい日本人の性質が、性においては天真爛漫、豊かな野性に満ちていたその矛盾に多くの外国人も驚きを隠せなかったようですが、同時にそこから社会の親和性、調和性も感じとっていたのです。
残念ながら、明治維新やGHQの支配で西欧文明の影響が強くなると、性に対する規制も強化され、一夫一婦制の中に封印し「性は暗くふしだらなもの」として扱われ、洗脳されるようになってしまったのです。
日本人は、性のエネルギーを封印された結果、性的にも発想や活動の面でも萎縮し、文化や社会は力を失ったといわざるをえないのです。
そして、今や日本の出生率は世界最低レベルに至り、世界一セックスをしない国民と言う称号をまで与えられる現在となったのです。
日本人は本来、草や木、動物や山や海などすべての自然の中に神が宿ると考え、自然の声に耳を傾け、自然と融合し、まわりのもの全てとバランスよく共生していました。
人々の美的感性も優れ、そのバランスが最高潮に達したのが江戸時代だったと言えるのではないでしょうか。

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