東のエデン

江戸時代に日本を訪れた外国人の印象は、共通して日本人が「明るく元気」だという印象を述べています。
同じ仏教国である、「幸せの国」ブータンや「微笑の国」タイと同様に明るい印象の国だったのです。
そして、最も注目すべき言葉として、「江戸時代の日本には、貧乏はあっても、貧困は無かった」と外国人が証言していることなのです。
たとえ貧乏でも、少しも恥ずかしいと思わない文化であり、お金よりも心が豊かな事を重要に考える文化だったからなのです。
そして「日本の江戸時代が人類史の中でも最も豊かで平和で、 人々の幸福度も高かった」と称されるように、江戸時代は素晴らしかったのです。
それは、神々と自然と人間社会が調和し、循環型社会でリデュース、リユース、リサイクルの3Rsを既に実践していた素晴らしい社会であり、庶民が幸せに暮らす「理想郷」だったと言われているのです。
そして、イギリス公使のオールコック卿は、思わず日本を「エデンの園」と形容してしまったくらいだからなのです。
一方で、江戸時代の思想を著す言葉として、「清貧の思想」があります。
中野孝次氏は、著書「清貧の思想」で、西行,吉田兼好,松尾芭蕉などの世捨て人の風雅な暮しを論じました。
「清貧の思想」を分かり易く説明すると、「一切を捨てて無意味な贅沢を止め、心豊かに暮らし、金品に固執しない生活を送ること」となります。
知足安分(ちそくあんぶん)「高望みせず、自分の境遇に満足して生きる」ということなのです。
まさに、見かけだけの派手なパフォーマンスや華やかさでは無く、「心眼」で本質を見つめる「姿勢」が大切になるのです。
21世紀の社会でも、「心眼」で本質を見つめる事、「清貧の思想」のような考え方が必要なのです。
「品格」とは、その人が身に付けている礼儀や節度や人徳、気高さに富む様をいうのですが、貧乏でも「品格」を身に付ける事が出来ると言うことなのです。
「品」とは、その人の良い風采(ふうさい)や柔らかな物腰の事です。
江戸時代の人々は、お金や社会的地位は無かったかも知れませんが、プライドを持ち、後世に残る(死なない)業績を残すべく、心豊かに、とても気持ちいい生活を送っていたのでした。
金品に固執しない事で、一回り大きな人間へと成長し、それだからこそ立派な業績を残せたのかもしれません。フランス伯爵ボーヴォワルから見た江戸時代の日本人は、この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」
「日本人はいささか子供っぽいかも知れないが、親切と純粋、信頼にみちた民族だ。」
「平和で争いのない日本の人々は、礼譲と優雅に満ちた気品ある民であった。街ゆく人々はだれかれとなく互いに挨拶を交わし、深々と身をかがめながら口元に微笑を絶やさない。田園を行けば、茶屋の娘も田圃の中の農夫もすれ違う旅人も、皆心から挨拶の言葉を掛けてくれる。その住民全ての丁重さと愛想のよさにどんなに驚かされたか。地球上最も礼儀正しい民族であることは確かだ」。
子供達は、元気に明るく振る舞い、親たちも厳しく叱る様子は見えないが、それでも子供達はしっかりと躾けられているようだ」江戸時代の人々の「幸せな生活感」が伝わってくるようだ。と称賛してくれました。
しかしながら、明治維新後に西欧文化に壊されてしまった、日本人の大切な心が多くある事にとても嘆かわしいのです。
江戸時代までは、日本が長年の伝統の文化を熟成して来た結晶でしたから、悪いものなど残っていなかった筈なのです。それらを西洋人に壊されてしまった事は、日本人として実に痛いのです。
今からでも遅くは無いので、是非とも江戸時代の文化を呼び戻そうではありませんか。
そのような江戸時代の雰囲気を感じられる絶好のスポットが今でも残っているので、是非お勧めしたいと思います。
江戸時代の建物や街並みに浸りたいならば、長野県の南木曽にある妻籠、馬籠宿、世界遺産に指定されている岐阜県高山市の白川郷、山陰地方の尾道、倉敷、萩が代表的です。
神社寺院のお参りであれば、三重県伊勢神宮おはらい町、日光東照宮、日光杉並木、箱根関所、箱根杉並木が有ります。
博物館系であれば、東京都江戸東京博物館、両国国技館、深川江戸資料館、日光江戸村等が有ります。
温泉系であれば銀山温泉、大江戸温泉などをあげる事が出来ます。
今に残る江戸時代を、是非楽しんでみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

隠さない文化

次の記事

根はおおらかな日本人