エドム(出雲族)が築いた江戸の街

江戸の街創りが成功したのは、「出雲族」のエフライムが江戸な街創りに協力したからなのです。
それが京都から江戸にわざわざ都を移した理由でもあり、エフライム系と思われる徳川家康がユダ族の秦氏を上手く使いながら開拓を進めたものと考えらます。
それまでの京都での政権は、ユダ族が中心となった「大和族」の貴族中心政権であったものと私は考えます。
それに対して、江戸時代はそれまでユダ族に支配されて、不遇の生活を強いられてきた縄文人やエフライム系からなる出雲族の不満を一気に開放する事が出来た場所であり、時代ではなかったかと考えるのです。
西日本中心の上方文化から、東日本中心の江戸文化へと文化と経済の中心が大きく転換したのです。
これによって、それまでの貴族中心の文化や習慣だったものが、江戸時代には庶民の文化や習慣へと一気に転換する事が出来たのではないかとも考えるのです。
それらの影響も有り、江戸時代に一気に実を結んだ庶民文化の一つとして、人間同士の繋がりをあげる事が出来ます。
まずは家族同士の絆、そして親戚同士の絆、同じ長屋同士の絆、同じ職業同士の絆、同じ村や街の絆、そして同じ地域の絆です。
それらの関係は、細かい事にも干渉するような、ねっとりとした関係では無く、さっぱりとした気遣いで結ばれており、堅苦しい関係では無かったのです。
もしも困った事があれば、お互いに心配し、助け合い、逆に問題が起こればズバッと白黒つけて解決してしまう。そんな緩くて固い繋がりだったのだと考えます。
ところで「宵越しの金を持たない」と言われる江戸庶民は、長屋住人の平均的な1日の稼ぎで、居職が350文、出職が410文程度だったようです。
しかし、日銭稼ぎのその日暮らしで、雨が降れば商売を休まなければならなかったのも事実なのです。
それが、宵越しの金を持たないと言われる一つの理由なのですが、江戸の町は火事が多かったのも一つの理由かもしれません。
ひとたび火災が起これば、あっと言う間に燃え広がり、何もかも焼失してしまう大火の町、江戸では金目のものは一瞬にして焼失してしまうから、持たない方が懸命だったのです。
また、出火元になるのを避けるために、大店の商店でさえ内湯を持たなかったと言われています。そのため、銭湯が発達し、庶民の憩いの場、人々のコミュニケーションの場ともなったのでした。
地域社会の秩序も道徳もあって、温かくとても良い時代だったと言えるのです。
江戸時代には、士農工商の身分制度がありましたが、商工業従事者を町人と言い、江戸は町人の町でした。
町人は、長屋に住んでいましたが、表通りに面した所には二階建ての商家が多く、その裏側には 九尺二間程度(約3坪から広くて5坪)の平屋、いわゆる長屋があったのです。
一般的に、長屋の土地・建物の所有者と、その所有者に代わって貸地・貸家を管理する大家がいたようです。
大家は、一番大きな家に住み、家賃を徴収し、また店子の身元保証人になったりして、いろいろ世話を焼いたようです。「大家を親と思え、店子を子と思え」という
ことわざがありますが、大家を含めて長屋住人の絆は極めて固かったようです。
江戸時代の長屋は、地域の理想的なコミュニティだったのかもしれません。
ところで、大森貝塚を発見した事で良く知られている、アメリカの動物学者エドワード・シルヴェスター・モース氏は、明治初頭に日本へ来ましたが、彼は日本人を「アメリカでは人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っている」と称賛しています。
「衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり、これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」と述べており、江戸時代に完成されていた「思い遣り」や「道徳」「礼儀」について日本人の素晴らしさを称賛しているのです。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」という荘子のことわざがありますが、江戸時代の人間関係は、まさに水のごとしさっぱりとした付き合いで、ドロドロとはしていなかったのです。
人が並んだ時や、向かい合う時の人と人との間隔をパーソナルスペースと言いますが 日本人のパーソナルスペースは意外に広いので、中国人や韓国人のようにぴったりとくっついてベタベタする事はありません。
それらは、日本人と中国人や韓国人を見分ける上でも大きな違いなのかもしれません。
ツュンベリー氏は、スウェーデンの医学や植物学の学者で、1743年生まれで、
「この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。」
「国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である。この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族に群を抜いている。彼らの銅や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。
農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい」
自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である」と日本人を称賛しているのです。
ところが明治維新に伴い、出雲族の時代に再び大和族が支配の手を伸ばし、日本人の自由は失われてしまいました。そして、イルミナリティが支配する現在まで至っているのです。

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