愛宕山の江戸城無血開城

江戸城無血開城は、江戸時代末期の1868年に明治新政府軍と徳川幕府との間で行われた、江戸城の新政府への引渡しおよびそれに至る一連の交渉過程を指すものです。
もしも、愛宕山で行われた会議で、幕府軍の命を受けた勝海舟と、新政府軍を率いた西郷隆盛の話し合いが不調に終わっていたなら、江戸の町は全滅、焼け野原となり当時150万人とも言われていた多くの江戸っ子達が犠牲になってしまっていた事でしょう。
そして、焼け野原と化した江戸において、新政府軍と幕府軍は、さらなる全面戦争に突入し、日本は内乱でぼろぼろとなっていたに違いないのです。
もしそうなっていたなら、この時ばかりとロスチャイルド勢力は日本を占領し、日本が英国の植民地となっていたかもしれないのです。
勝海舟は、まず山岡鉄舟を通して最初の交渉を成功することが出来ました。その条件とは
①徳川慶喜の身柄を備前藩に預ける
②江戸城を明け渡す
③軍艦をすべて引き渡す
④武器をすべて引き渡す
⑤城内の家臣は向島で謹慎する
⑥徳川慶喜の暴挙を補佐した人物を厳しく処罰する
⑦暴発の徒が手に余る場合は官軍が鎮圧する。
でした。そして山岡鉄舟は、①以外は全てを受け入れたのでした。
そのことで、西郷隆盛は山岡を信頼し、勝海舟との交渉も受け入れたのでした。
一説に、勝海舟は客家の血筋を引く家系だと言われています。
確かに、愛宕神社の狛犬は左右の阿吽どちらも角が有る一角獣、つまりはエフライム族なのです。
西郷隆盛は、藤原系菊池家でユダ族なのかもしれません。もしそうであれば、ここでもユダ族とエフライム族の和解が成立した事になるのです。
そして、日本は勝海舟と西郷隆盛の将来を見通す優れた能力、またそれを後押しした、徳川慶喜公の知力と冷静な判断力で救われたのでした。
ですから、明治維新の最大の功労者は、徳川慶喜公という事が出来るのだと考えます。
一方で、「古事記」に出て来る「出雲の国譲り」は誠に日本人らしい神話です。
激しく戦い民衆の命を犠牲にするよりも、あっさりと国を明け渡しても平和的な解決をしようという発想だからなのです。
自己よりも国の民衆を第一に考えるからこそ、このような逆転の発想が生まれて来るのです。
サルの社会でもおこる現象ですが、ボス同士が一騎打ちで戦い、勝ったボスに全てが従うのです。
負けたボスは身を引く、というのが無言の掟となっているからなのです。
先に述べて来たように、日本人は大きく分けると縄文人、ユダヤ人、中国人(漢人)、朝鮮人(鮮卑、女真)の四人種で上手くお互いにバランスを取りながら成り立っているようです。
大化の改新以来は、藤原氏や秦氏を中心としたシュメール人勢力が日本の支配者層として君臨して来ているのです。
これに対して、平和主義者的な縄文日本人は「オレがオレがの漢人」を黙って黙認して来ました。
頭がそこそこ良く、出しゃばりなのですが全体を纏める力があるので、「まあ我慢しておこう」と言った気持ちだったのかもしれません。
日本神話における「出雲の国譲り」なども、その典型例なのかもしれません。まとめるのはいいけれど、それってズルいんじゃ無いの?と感じてしまいます。
例えば、裏社会、裏口入学等の悪事に対しては、ハプロタイプO2、O1への注意をする者も居ますが、クレーマー、モンスターペアレント、トラブルが嫌だから諦めて黙ってしまう傾向が強いのです。
派閥や人脈とはエネルギーの脈の事なのです。
集団で団結する事で、社会を独占支配しようとするエネルギーに他ありません。
それならば、正しい大和魂を持った日本人同士が団結して集団を作れば、これに勝るエネルギーは無いのです。それを知っていたGHQは、大和魂を粉砕する為に、日本人の潜在意識を破壊して、洗脳する為の施策を実践しました。それが、ボディーブローのように、現在の日本の活力を弱める結果に繋がっているのです。
これからの日本は、大和魂の強いエネルギーを取り戻し、その日本人の良質なエネルギーを浴びたくて、外国人も沢山集まる国へと向かって欲しいものです。

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