四分割される寸前だった日本

イルミナティにより、ロスチャイルド財閥とロックフェラー財閥を戦わせ、日本を戦場にしてボロボロにしてしまおうという計画は、北海道へと侵攻しようとしたソ連ロスチャイルド陣営に対して、原爆を使用したロックフェラー財閥が、日本までを確保すると言う結果に終わったのでした。
被支配者同士を争わせ、内輪もめさせる事によって、不満や反発が自分達支配者には直接来ないようにして、楽をして簡単に統治する為の汚い手法なのです。
この方法は、分断統治とも言うのです。
そもそもイルミナリティの前身は「本能寺の変」から、日本を植民地化しようとしていた訳なので、日本の分割統治は既定路線だったのです。
実際に、イギリスはインドで「分割統治」を進めるために、間接統治と共に、「対立させて支配する」という方式を実行し成功しました。
分割統治はまた、大航海時代の15世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパ列強が植民地を支配するための基本的な戦略として用いられたのでした。
そして、日本は第二次世界大戦の敗戦によって、連合国に分割統治される寸前だったのです。
もしそうなっていたなら、東京は今頃、言葉は英語かロシア語、車は右側通行、買い物はドルかルーブル、企業や役所幹部は全てアメリカ人かロシア人になっていたのかも知れません。生き残った日本人に、与えられる仕事は肉体労働や雑用が中心となっていたかもしれないのです。
アメリカ国立公文書記録管理局に、現存する計画書によると、分割計画は北海道・東北地方は、ソ連が統治し、
関東・中部(福井県を除く)及び三重県付近はアメリカが統治し、四国は中華民国が統治し、中国・九州地方はイギリスが統治することになっていました。
東京35区は、米・中・ソ・英の共同管理とし、近畿(三重県を除く)及び福井県は中華民国とアメリカの共同管理とする計画でした。
ところが、色々な理由と朝鮮戦争の勃発で幸運にも日本はその危機を脱する事が出来たのです。
本当の理由は明らかではありませんが、おそらく日本で学んだ経験のある蒋介石が「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以ってする)に基づき激しく反対した事が大きかったのだと考えます。
また、ダグラス・マッカーサーと親密な、吉田茂首相の猛反発のおかげでも、実行されずに済んだのでは無いかと考えられるのです。
歴史にもしもはありませんが、もし日本が分割統治されていたなら、日本人同士の内戦が仕組まれて、外国のために日本人同士が戦い、ぼろぼろの状況に陥っていたのかもしれません。
もしも、そのような事態に陥っていれば、今頃は日本という国事態が無くなり、一歩間違えれば、日本全体が東西冷戦の戦闘場となり、日本人は居なくなってしまうか、奴隷状態で、やっとのことで生き続けて来たのかもしれないのです。
それは、現在の平和な日本からは、全く想像もできないような恐ろしい世界なのです。
幸い、二名の賢人のおかげで日本と言う国は亡ばなかったのです。
そして、それは日本と言う国全体が、大きな自然エネルギーに支えられてきた証拠なのかもしれません。
ですから、日本人は大自然の恵みや神様に感謝し、そして邪気を払うお祈りを捧げる必要があるのです。
これからも、日本人のこの姿勢は変わる事無く、代々受け継がれていくのです。
「でもふざけんな、お前ら冗談じゃないぞ。また同じような事持ち出したら、ぶっ殺すぞ!」と悪党共には叫びたくなります。
蒙古襲来とも言われる、フビライハンの二回の日本攻撃、元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって二度にわたり行われた対日本侵攻の呼称です。
一度目を、文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、二度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)と習いました。特に二度目の弘安の役において、日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊でささた。
主に博多湾を中心に九州北部が戦場となりました。
実際のモンゴル軍は、高麗の兵士が役7割であったとの指摘もあります。そして彼らの一部はそのまま日本に留まり帰化したとの話もあるのです。
この戦いは、神風によって治まったように教科書では書かれていますが、おそらく当時の日本の戦闘力と日本刀の力は、世界最高レベルに達しており、接近戦になったなら圧倒的に日本が強かったに違いないのです。
日本は、フビライハンの国書を無視し続け、結局この戦いで、日本は圧倒的な軍事力で元軍に勝ったのでした。その痕跡は今も博多湾に遺跡として残っているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です