歴史の教科書に騙されるな
日本の教育界や教科書では、日本最古の正史は「古事記」と「日本書紀」にあるとされているのですが、記紀は藤原不比等が自分達を正当化する為に書かれた書で、全てを鵜呑みにしてはいけないことが明らかなのです。
蘇我氏と物部氏を意図的に悪者に仕立てあげていることから、逆に蘇我氏と物部氏の功績を封印する為の書であったことが、バレバレなのです。
飛鳥昭雄氏によると「古事記」と「日本書紀」は、どうやら「旧約聖書」と「新約聖書」の関係にあると言うのです。「古事記」に書かれた神話は、旧約聖書を基に日本風に直されており「日本書紀」をゲームの攻略本の様に、解説書として「古事記」を読み直すと、真実が見えて来るという考え方になります。
この事から、日本文化は古代イスラエル文明の影響を強く受けており、日本人の哲学が「生命の樹」の哲学に上に成り立ってきた事を、象徴しているものだとも解釈できるのです。
そして残念ながら、現在日本の学校で使われている歴史の教科書は、政治の道具と化してしまい、肝心な情報や本当の解説が記載されていないのです。
ですから歴史の教科書には、偽りの歴史が綿々と綴られているだけであり、私自身もそれらを50年以上に渡りずっと信じて来たのですから、長い間騙され続けて来た自分にも腹が立ってしまうのです。
残念ながら、私達が本当に知りたい日本の歴史を日本の教育制度の中では殆ど教えて貰えません。
歴史の授業で不思議に思ったことは、授業ではほとんど流されてしまい、決してその正しい答えを聴くことは出来ませんでした。これは私にとっては、最大限の不満な事項であり、このことがビジネス等の国際的環境では著しいハンデとなり、これから大人になる子供達にとっても、物凄くマイナスとなるのを心配しているのです。
いったい日本人のアイデンティティーは、何処へ行ってしまったのでしょうか?
しかしながら、それらの歴史がカバラによって封印されている事さえ判ってしまえば、カバラの「生命の樹」を使って、解読する事が可能になって来るのです。
そして、同時に日本古来の風習の成り立ちも解明出来て来るのです。
たとえば、お正月の門松は、カバラの「生命の樹」を表している事に気が付くのです。
また、クリスマスツリーも七夕飾りも、法隆寺の五重塔も「生命の樹」を表しており、日本中がカバラの哲学で動いていたことに、改めて驚かされてしまうのです。
そして、鏡餅はモーゼ三種の神器を表しているのだそうです。つまり偽りのイエスでは無く、封印されている真のイエスの復活を祝っているのです。
日向族が出雲族をカバラで封印していると言われているのは、偽の天照(イエス)が真の天照(イエス)を封印していると言う事なのです。
出雲族が、あえてカバラの「生命の樹」を示す事で、カバラの封印が解かれてイエスが復活する事を待っているのだと考えられるのです。
ですから、ガド族が真のイエスを待つ「門松」という言われが正しいのかも知れません。
ところで、教科書問題が日本・中国・韓国の三国の政治関係を不安定にしている一つの大きな問題なのですが、日本・中国・韓国の三国のどの歴史教科書を見ても、自国の政治に有利なように真実が捻じ曲げられて書きかえられており、とてもフェアーで正しい内容だとは思えません。
真実を政治と切り離して、公平に判断しようという真摯な姿勢がどの国にも最初から無い以上、教科書問題を解決出来る筈も無いと考えるのです。
騙す方からすれば、むしろそのような曖昧な状況こそが一番都合良いのではないでしょうか。
そして最大の問題点は、歴史と政治は完全に分離さすべきものなのにも拘らず、ごっちゃ混ぜにして歴史が政治的に利用されて来ている事なのです。
先の章でも述べて来ましたが、国家、宗教、人種と言う枠組みに囚われた考え方が、全てを台無しにしてしまっているのです。
ですから一度、国家や宗教や人種といった枠組みを取り払うところから始めてみようじゃありませんか。
そもそもユーラシア大陸の歴史は、同じ土俵の中で、それぞれの国々が相互に関係しながら発展してきたのですから、それらを全体で捉えて議論するのが基本の筈なのですが、実際には局所的な各論の議論となってしまっているのです。
局所的な議論では、矛盾点を上手く説明できない為、そこが政治的に歪曲されてしまうのです。
悪人の手口のところでも述べて来ましたが、悪い噂をでっち上げて、相手を騙して自らに有利な言質を取り、それでマスコミを最大限に利用したプロパガンダをし、世界中で騒ぎ立てて大問題にして、自らの利益としようとするというのが、悪人たちのずる賢い常套手段だからなのです。
未だに、そのような古臭い作戦を使っているのですから、もっと日本国民全体がその汚い手口を理解し、次に同じ手を使われる前に、「今度もその手を使って来るぞ」と逆宣伝をしなければならないのです。
南京大虐殺や慰安婦問題についても、徹底的に証拠を集め直してから、議論を再開すべきなのです。
なぜなら本当の事実は一つしか無いのですから。
客観的に日本の歴史を見てはっきりしている事は、日本人には「武士の情け」「国際法遵守」の精神が有り、「無暗に人質を殺さない」「逃げない」国民なのです。
そんな基本的な事も知らない外国人が、悪人の話をでっち上げるとどうしても、自分たちの価値観や経験を日本人に当てはめてしまい、単純かつ的外れの発想に陥ってしまうのです。
日本人からみれば、日本人には有り得ないお話なので、でっち上げられた事はバレバレなのです。
もしも30万人もの庶民を虐殺するような日本人が歴史上で存在したならば、日本人は絶対にその人物を許せません。外国からツベコベ言われるまでもなく、自国の価値基準で厳しく処罰を行い、とっくの昔に抹殺しているでしょう。
なぜなら、そんな話は日本人の「武士道精神」に反し、日本人全体の恥ともなるからなのです。
日本人はそういう点でも、厳しい国民だという事を世界の人々にも良く知ってもらいたいのです。
もし本当に残虐な事をした者が、当時の南京に居たとするならば、まずは日本人を装った日本人以外の人間から疑わなくてはならないでしょう。そして、日本人全体がもっと当時の満州や朝鮮半島の状況を客観的に勉強し直して、矛盾点をはっきりと述べられるようにならなければ、この問題は永遠に解決出来ないかもしれません。
つまり、南京大虐殺や従軍慰安婦問題とは、日本人の不勉強から来ている問題に他なりません。
頭の良い国民である全日本人の1億2千6百万人が、真面目に勉強して議論すれば正しい回答と解決策が自然に導き出されるに違いないからなのです。
もちろん、それらは政府や学校とは別に、民間人のレベルでの公平な議論とするべきなのです。
また、日中韓で定期的に公開議論する事が本当に重要であり、三国で歴史を見直す映画を作成するなどの前向きな解決方法を考えてみたらどうでしょうか。
米国の名優・監督のクリントイーストウッドが硫黄島の戦いを米国から見た視点「父親たちの星条旗」、と日本から見た視点で渡辺謙や二宮和也が主演した「硫黄島からの手紙」との2作に分けて映画を作成しましたが、とても感動的で、また両国がそれぞれの立場と事情でフェアーに描かれており、太平洋戦争を理解するうえでも大変参考になった作品でした。
同じ発想で、日清戦争や日中戦争も日本からの視点、中国国民党からの視点、中国共産党からの視点、北朝鮮、韓国からの視点で、それぞれが作成し意見をぶつけ合うという方法もあるのではないでしょうか。
私は日本の歴史を確認する為に、よく韓流の歴史ドラマを観ます。もちろん自国に有利な描き方もしているのですが、逆にどんな所が都合が悪いと感じているのかが分かりますし、日本の描き方から客観的に真実の日本を知ることが出来るので、とても勉強になるのです。
過去はひとまず棚上げにして、全くゼロの状況から再出発し、お互い新世代の若者達が新たな感覚で、協力しながら一つの作品を完成させる事で、全く新しい発見や視点が持てるようになるのではないでしょうか。
もちろん、それらの作品は政治的な弾圧や言論統制の対象には絶対にしてはならないし、それらの作品評価は第三国が客観的に行えば、どの国がフェアーなのか、何が問題だったのか、解明されていない事実では何が正しいのか?などがたちどころに、炙り出されて来るのではないでしょうか。韓国が竹島問題を国際司法裁判所に持って行けないのは、それ時点で答えは明らかなのです。
「やましい事があるから、国際法を守る気が無いから、国民に嘘を教えているから」と判断されても仕方が無いのではないでしょうか。
今後の日本と世界の未来の為にも、日本の歴史は、「古事記」「日本書紀」より前の縄文時代の原点まで遡り、書き換える必要があるのだと考えています。
これまで様々な陰謀論を暴いて来たつもりですが、陰謀論が軽んじられて来た背景には、「平和を叫ぶと」暗殺されるという背景がある事にも関係しているのかもしれません。
事実、歴史上の人物で平和を叫んだ人々は、殺される運命となって来ました。
例えばジョン・レノン、マイケル・ジャクソン、ケネディ大統領等はその典型だと言えるかも知れません。
しかしながら、日本人はテロ行為にも怯んでは行けません。
日本人全体が団結して、たとえ命を犠牲にする者が出ても、守り抜くべき価値と必要がある大切な事は護らなければならないからなのです。
まず悪党どもは「なぜ歴史を隠すのか」ですが、その答えは「証拠隠滅」の目的と「悪の手口」を大衆に知られたくないからなのです。もしそうだとするならば、我々は「証拠」を暴き、「悪の手口」をあからさまにする事で、今後二度と「悪の手口」を使わせないようにしてやれば良いだけの話なのです。
そして、騙されるのは何時の世も庶民なのです。
その中でも特にB層が騙されやすいので、
それを逆手に取って、マスコミはB層を集中的に洗脳して来たのでした。
ですから、しっかりと真の歴史を学ぶ事によって、騙される事無く自分の人生を歩めるようにしておきましょう。そして「本当の自由」を掴んで行きましょう。
それでは「悪の手口」の基本とは、なんだろうかを具体的にあげて行きたい。
①スパイを使った情報工作
②暗殺(毒殺)
③分断統治や挟み撃ち
④宗教の政治利用
⑤そして「歴史の隠蔽」なのです。
歴史の事件を、上記の「悪の手口」を前提に再検証してみると、出るわ、出るわなのです。
よく「歴史は繰り返す」と言われますが、まさにその通りで「悪の手口」が繰り返されて来ているのです。
日本の歴史で言えば「大化の改新」「本能寺の変」「明治維新」「日清・日露戦争」「第二次世界大戦」であり、世界の歴史で言えば「南北戦争」「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」など全て、「悪の手口」を使って日本人が騙されて来た事が良く判るのです。
ですから、騙す側からして見れば、学校で「本当の歴史」を学ばれては本当に困るのです。
事の始まりは、ローマ皇帝コンスタンチンが西暦312年にミトラ教を捨ててクリスチャンになった事から始まります。
「帝国内の帝国」とまで呼ばれ、独自の組織力を持つようになったキリスト教会を無視できなくなったコンスタンチンは、融和政策へと転換したのでした。
そして、西暦392年テオドシウス帝の時代に異教が全面的に禁止され、キリスト教はローマの国教となりました。これにより、宗教を政治的に利用した権威主義支配が行われるようになったのです。
第二の事件は、コンスタンチンがローマ帝国の首都を今のイスタンブールに移した事です。
ローマ教会は、ローマから皇帝がいなくなった事をいいことに、ちゃっかり事実上のローマの支配者に君臨してしまったのでした。そして、ローマ教会は、「コンスタンチン皇帝から皇帝が住んでいた城を譲り受けた」という偽書状を作成し民衆に示す事によって、その権威を内外に示したのでした。
ところが、15世紀にその文書は偽造された物であった事が発見されてしまったのです。
これはカトリックの信者たちも認めているまぎれもない事実なのです。
キリスト教の教典の内容の良し悪しではなく、ユダヤ教や多神教よりも、楽に信者になれるから、簡単に大勢の仲間を作ることができるキリスト教は、国の統治に都合よく利用されたのでした。
国教になって、キリスト教会の地位はさらに増し、また信者になりたがる人が増えるといった状況で、勢力はどんどん大きくなって行ったのです。
しかしながら、もともとそんな事情からキリスト教が盛んになって行ったので、カトリックの教えに不満を持つ者が増えてしまったのです。
その後の宗教改革運動を経て、プロテスタントという新たな勢力が誕生する事となったのでした。
それでは、なぜプロテスタントはカトリックから分かれたのか?原因を確認してみましょう。
第一番目の理由は、各々が聖書を読む機会が与えられるべきである(万人祭司)と主張したからです。
カトリック教会では、一般の信者は聖書を所有できなかったのですが、この時代に聖書は英語に翻訳され、出版技術によって一般の信者の人たちに聖書が届くようになりました。
第二番目の理由は、信仰と神の恵みによる救いを宗教改革者たちは訴えたからです。
カトリックの信仰では、信者は赦しを得るために、ローマ教会への巡礼、祭司への罪の告白などの様々な事を行ないました。
恵みによる救いという概念が、中世のキリスト教には無かったので、宗教改革者たちが正したのです。
第三番目の理由は、教会の権威を認めながらも、聖書が信仰生活のすべての基準だとしました。
カトリック教会では、教会の権威のもとに、聖書とは他にいろいろな決まり事を作ったので、一部の宗教改革者達は反発を覚え、聖書の権威の重要さを強調したのです。
結論としては、権威をどこに置くかという優先順位の違いにあるのです。
カトリックの権威は、次のような順番になります。
神>教会>聖書>信者
これに対して、プロテスタントの権威の順番は次のようになります。
神>聖書>教会と信者の集まり
13世紀頃の中世ヨーロッパにおいて、教皇庁が「補償金」と名目を変えて利子を黙認するようになりました。宗教改革で5%の利子が認められるようになりました。
歴史とは「究極の自分探し」なのです。
正しい歴史を調べ、「自分がどこから来たのか?」、「先祖はどのような事をして来たのか?」、そして「自分とは何か?」という答えを是非とも探して欲しいのです。
