正直者の日本人ほど騙されやすい

日本人は、世界一「お人好し」「ルールを守りたい」「平和好き」「困った人を助けたい」という気持ちが強い平和主義の国民だから、悪の輩はそれらを逆手に取って騙すのです。
騙す方から見たら、日本人ほど騙しやすい国民は居ないのだと考えます。
自分は騙されていないと思ってしまうほど、実は騙されている事に気が付きもしないほど、幸せで呑気な人間だからなのです。
騙しの方法には様々な種類があるので、それをこれから順番に説明して行きますが、「隠す」という方法が一番重大だと考えられます。
そもそも、人はなぜ「隠す」のでしょうか?
一番の答えとして「大事なものを守る為」だと考えられますが、それでは「大事なもの」とは何なのでしょうか?
おそらくは「信用」、「地位」、「尊敬」、「プライド」、「お金」、「利権」では無いかと考えます。
これらを良く分析してみると、全て表面的な価値でしかない事に改めて気が付くのです。
しかしながら、人間にとって最も重要な価値は、見かけの価値では無く、「志」、「宇宙の意志」と言った本質的なものであるはずだから、全く隠す必要などは無いという結論に至るのです。
ですから、隠し事をしている事に気が付いた時点で、「騙されている」と思わなくてはならないのです。
ハッキリ言って、現在の日本人はイルミナティに騙され続けています。つまり思想はコミンテルンに、政治はロックフェラー財閥に、金融はロスチャイルド財閥に支配されてしまっているのです。
そして産業経済だけが、辛うじて海外からの圧力を押しのけて国際競争力を維持している状況なのです。
豊臣政権の末期に捕虜として日本に連行された朱子学者の姜沆(かんはん)は、その著書『看羊録』のなかで、日本人はブームに流されやすい国民性だという旨を述べており、この頃から既に外国人にとって日本人が騙されやすい事をお見通しだったことが明らかなのです。
「みんなが良いというから良いのだ」「みんながやっているから、自分もやる」という、なんとなく流されてしまいやすい国民性は、昨今にはじまったことではなく、少なからず当時の日本人にも見受けられた性質のように感じられるのです。
日本人は「哲学」「心理学」の勉強が足らないせいなのか、簡単に洗脳されてしまうのです。
洗脳する側の手口のプロセスは、スパイが敵の国家で行う事とほぼ同じなのです。
①まずは心の隙間を見せる弱い人間がターゲットにされるのですが、人間は誰しも弱みを持っているものだからなのです。
②そして偶然の出会いを演出し、優しい言葉をかけて相手の懐に飛び込むのです。
③先に何かしらの恩を売って、相手に感謝させて必要な人間だと信じ込ませます。
④大物を装い、有名人と知り合いだという事を、徐々に信じ込ませて行きます。
⑤そして重要人物との情報を遮断し、繰り返し悪口を言う事で包囲網を作り「孤立」させて行くのです。
⑥知り得ないはずの情報を言い当てて、霊能力を誇示します。
⑦繰り返し洗脳し、マインドコントロールで言う事に従順に従わせます。
⑧最後には「脅迫」や「薬物」や「涙」で、解っていても逃げ出せない状況にまで追い込んでしまうのです。
また心理学用語では「返報性」と言うのだそうですが、人に親切にされたら「必ずお返しをしなくてはならない」という気持ちが強く働いてしまい、結局はお返しの方が高くなり「持ち出し」となってしまう日本人が意外にも多いのです。
また日本人は、どんな相手にも誠実に対応しようとするから、なかなか「断れない」状況に自らを追い込んでしまう傾向にもあるのです。
一方で、日本人は「自分の意見を押し通す」事は皆から嫌われ、「集団で決まった意見」に同調するのが是とされるので、自分から「No」と言うのを躊躇し、他人の意見にも「No」と言いづらい民族だという事が出来るのです。
正直者であることは、とても大切な事であり、微笑ましい事でも有るのですが、それを逆手に取って騙す輩がいる事を絶対に忘れてはならないのです。
これらの事例で明らかな通り、日本人の教育で大切な事は、「No」と言う訓練なのです。
私が過去に参加したさまざまな国際会議でも感じて来たことなのですが、日本人はまずは「言葉」と「文化」と言うハンデで孤立し追いつめられてしまうのです。
また「黄色人種」という事で、言葉にはなりませんが「差別的な」状況に追い込まれてしまうのです。
そのような環境の中で、欧米勢は独特のリーダーシップで全体を統括し、まとまった時点でやっと「同意」を求めるように、意見を日本人に振って来るのです。
人数的にも圧倒的にマイナーな状況下で、なんとも言えない独特のプレッシャーを強烈に浴びせられるのです。
そのような状況の中で、果たして冷静に話題の本質を分析して、自分たちの意見が言えるでしょうか。
さらに、もし意見が間違っていたら「No」とハッキリ言える訓練が絶対に必要なのです。
但し「No」と言うからには、「明確な根拠」を持ち、それを「論理的」に分かり易く説明する義務を負うことにもなるのです。
日頃の生活の中で、「No」と言う経験が無ければ、上記の様にプレッシャーのかかった状況で「No」と言える筈も無いですし、「論理的」に分かり易く説明する「テクニック」や、その根拠となる前提の「知識」をしっかり押さえておく必要が有るのですから、相当ハードルの高い要求になるのです。
日本人の最大の弱点である「No」を言えるようにする訓練は、今すぐ始めなければなりません。
日本人にとっての、「最優先課題」なのだと考えます。
その為には、ディベートという手法を教育に頻繁に取り入れて、「論破」する訓練をしなければならないのだと考えます。「論破」は戦わずして勝つための頭脳戦でもあり、日本人の能力からすれば決して出来ない事では無いのですが、争いを嫌う国民性が、「論破」という手法を避けてきたように思えてならないのです。

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