能ある秦は爪を隠す

世界における三大巨大建造物と言われている万里の長城、スフィンクス・ピラミッド、大和型戦艦、そして世界三大陵墓に上げられる始皇帝陵、大仙陵古墳(宮内庁は仁徳天皇陵とする)、クフ王のピラミッド、さらにはニューヨークのマンハッタン地区の造成開発。
驚くことに、これらの建設には、全て秦氏が係った可能性が高いのです。それぞれが、別の時代と国家での建造物なのですが、秦氏の民族移動と共に、時代と地域を超えてこれらの巨大建造物が建造されていたとすると、技術や労働投入のノウハウの出どころがハッキリして納得が行くのではないでしょうか。
ところで日本人は無宗教だと良く言われますが、そんなことは決して無いのです。
実は多くの日本人が無意識ながら、原始キリスト教徒となって来たのです。
ネトリウス派キリスト教の教えは、神道に吸収され、また真言宗や天台宗の密教を通じてほとんどの仏教にも吸収されて来たので、ピンと来ないのは仕方が無い事なのです。
秦氏の役割は、聖徳太子の意志を引き継ぎ、原始キリスト教、それらの神宝、そしてダビデ・イエスの末裔をこの日本に隠して守り続ける事だったのです。
「能ある鷹は爪を隠す」という諺がありますが、鷹は秦氏族のシンボルともなっているのです。
秦氏とは、日本の神社の約9割を支配すると言われる、日本の宗教界の影の支配者の事なのです。
秦氏の広めた宇佐八幡宮、伏見稲荷の祭神はヤハウァであり、イエスキリストとも一致する様なのです。
秦氏は藤原氏と伴に、日本の歴史を裏で動かしてきた「影の支配者」なのですが、その秦氏が得意として行って来たのが、カバラを駆使して堂々と大切なモノを「隠す文化」なのでした。
カバラは、世界最古の秘教的哲学体系で西洋密教なのですが、旧約聖書の時代、モーゼが神から授かった叡智、また、すべての神秘を解く鍵とも言われ、数秘術などを使って宇宙の原理などの重要な秘密を封印する方法であると考えられるのです。
そして、死後3日目に「蘇り」を自ら証明したイエスキリストこそが、カバラを実践した歴史上で最初の預言者なのかもしれません。
そう考えると、日本人はあえて意図的に世界での「嫌われ役」に徹して来たのかもしれません。
日本の神社が祭神を祀る目的は、神として祀り讃えると同時に、怨霊を封印し閉じ込める目的も有るからなのです。陰と陽が表裏一体、背中合わせとなっているのです。
かつて菅原道真公の怨霊を収める為、一条天皇が北野天満宮に祀ったことは有名な話です。
封印とは一般に、「物が無断で開かれたり、扱われたりすることを禁じるために,封じ目に印を押すこと」でなのです。
つまり怨霊を「隠す事」も神社の目的の一つともなっているのです。
そして神社の歴史は、謎が多く判らない事も多いのです。まさに「隠す文化」なのかもしれません。
日本人は、無宗教で宗教的対立が無い国だと思っている人々が多いようなのですが、それはとんでもない誤解なのです。日本の歴史は、まさに宗教戦争の歴史だと言っても過言ではありません。
その集大成として、漢語訳の仏教を「隠れ蓑」とした、日本独自の宗教思想が生まれたのです。
そして、秦氏そのものが秘密のベールに包まれているのです。秦氏には多くの秦氏が存在し、一言で秦氏を表す事は出来ません。徐福の末裔が、中国からの追手から隠れる為に、あえて秦氏を名乗ったり、ユダヤ教から原始キリスト教に改宗した物部氏も秦氏と名乗っていた例があるようだからなのです。
私が考える本当の秦氏とは、まさに秦の始皇帝の末裔であるユダ族の事であり、秦国滅亡後は扶余族として、現在の中国東北三省(満州)あたりから、朝鮮半島に高句麗、百済を建国した人々の事なのです。
秦国から逃げ出した徐福一族を追いかけて、日本へ渡来し九州、出雲を経て大和の地に秦王国を作った宇治氏、羽田氏、和邇氏、土師氏達の事なのです。
ところで、かつて日本の縄文時代には、優れた文明が存在しました。
長野県で発掘された縄文ヴィーナスは、近世の女神を祭ったのではないかと考えられます。
青森県の三内丸山遺跡の地層を分析すると、縄文時代には何らかの気象変化が有り、突然人類や生物が生活していた痕跡が地層から消えるのだそうです。
気候の変化により、生活が続けられなくなった人々はおそらく、南西へと移動せざるをえなくなったのではないでしょうか。
紀元前3500年ごろに、人類最初のシュメール文明がメソポタミア地方で始まったと言われていますが、どうやら西の方から多くの移民が移って来たと記録されているのです。
シュメール時代にゾロアスター教として始まった宗教の歴史ですが、日本の宗教はゾロアスター教以降、全ての宗教の影響を受けながら、今日のような宗教観が築かれたのです。
日本が今まで隠し通してきた事は、ダビデの末裔であるイスラエルの十支族とユダ族が三種の神器を携えて、日本に逃げ渡って来た事なのです。
つまり、日本人がダビデやイエスキリストの正統な後継者である事なのです。
もう一つは、神道がミトラ教ユダヤ教から発展し、聖書の教えを強く反映している事なのです。
つまりは、日本人は仏教を隠れ蓑にした、「原始キリスト教信者」であったという事が言えるのではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

ジャイアン嫌いの国民性

次の記事

固定概念が才能を潰す