伝説とロマン生きづく国、日本
1)「黄金の国」マルコポーロ
大航海時代のマルコ・ポーロはアジア諸国で見聞した内容を「黄金伝説」として報告しました。
ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である『東方見聞録』によると、「ジパングは、カタイ(中国北部)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。 」と書かれていました。
また、ジパングの人々は偶像崇拝者であり、外見がよく、礼儀正しい」との記述もありました。
「莫大な金を産出し」というのは、おそらくは奥州藤原氏の黄金文化とその金産地を指し、「宮殿や民家は黄金でできている」というのは中尊寺金色堂や奈良東大寺の大仏様や京都の金閣寺等についての話を聞いたものではないかと考えられるのです。
一方で、日本の地下深くには、徳川埋蔵金360万 – 400万両や豊臣秀吉埋蔵金などが残した約200兆円分の金貨が未だに埋まっていると、八重野充弘氏は「埋蔵金を発見した!」に書いています。
また、戦時中の山下奉文大将率いる日本軍によって、終戦時にフィリピンに埋められたとされる莫大な埋蔵金「黄金のユリ」についての都市伝説も存在しています。
さらに、日本の工業品から出る金属を抽出する都市鉱山から生み出される金属資源量は、世界有数の資源国から産出される金属資源量に匹敵するのです。
日本国内に蓄積されリサイクルの対象となる金属、すなわち「都市鉱山」の量は、金が約6,800トンと世界の現有埋蔵量42,000トンの約16%もあるのです。
またネット上や高橋五郎氏の著作『天皇の金塊』等の一部の書籍で、あたかも事実であるがごとく指摘されているのは、天皇陛下が古からお持ちの金塊が有り、それらはバチカン銀行、もしくはスイス銀行に預金されており、16京円というのは世界のGDP合計値の37年分に相当する。金塊として約4000円/gで計算すると、約4000万トンにもなるのだと言うのです。
これがもし本当なら、まさに世界一の金塊量だという事になるのです。
そのお金を貸して欲しいと言う事で、世界の王室などの大物たちが天皇陛下に謁見しに訪れるのだという事だそうなのですが、そんな話が本当にあるのでしょうか。
また日本人全体では、本当はどのくらいのお金をもっているのでしょうか。
日本の純資産は、2000兆円を超え米国に迫る勢いなのです。また世界の家計一人当たりの純資産額は約18万ドルで世界一なのです。
いずれにせよ、日本を「黄金の国ジパング」と呼ぶ事は決して間違いでは無いと言うことになるのです。
黄金に象徴される、美しく光り輝き、高貴な価値を持ち、厳かな存在感は、日本に相応しい形容であり、それだけの存在感が日本には有るからなのです。
しかしながら、日本は金にも増したさらに素晴らしい財宝、すなわち「エネルギー」が溢れる国だという事を決して忘れてはならないのです。
そして「エネルギー」こそが、今後の世界を切り開く大きな力と成る事も肝に銘じておかなければならないのです。
2)プレスタージョンの伝説
ヨーロッパの人々は、東方に自分たちと同じキリスト教徒による強大な国家が存在すると信じていました。
彼らが本気で信じていたプレスタージョンのイメージは以下の通りなのです。
プレスタージョンの帝国は、強大無比であり広大な領土を有する富貴な国家なのです。
河には蜜が流れ、エメラルドやサファイヤなどの宝石は無尽蔵、出撃の際には精強な軍隊の先頭に14本の黄金の十字架が並ぶ荘厳さなのです。
なぜこのようなおとぎ話のような伝説が本気で信じられていたのかは十字軍の遠征時代に話が戻るのです。
イスラムに抑圧され続けてきたヨーロッパの人々は、プレスタージョンの実在を信じるあまりに、こうした東方での大きな軍事衝突を全て「プレスタージョンがイスラムを駆逐しているのだ」と考えたのでした。
自分達の仇敵イスラムと戦ってくれる東方の軍勢はヨーロッパの味方に違いなく、それはキリスト教君主国家以外にあり得ないのだと。
そのため、モンゴル帝国がヨーロッパにまで侵攻して来た時でさえ、モンゴル軍が東方から来てイスラムを蹴散らしていく姿を目の当たりにしたにもかかわらず、けっしてプレスタージョンと結び付ける事はなかったのでした。
プレスタージョンは、あくまでもヨーロッパの味方でなければならないからなのです。
東方の強大なモンゴル帝国の存在を知ってなおヨーロッパの人々は、プレスタージョンの存在を疑いませんでした。
そして、そのキリスト教君主国家とは日本のことかもしれないのです。
なぜなら、神道の中にはキリストの教えがそのまま息づいているからなのです。
3)(八王子)愛とプリンシーズ物語
「八王子」という地名は、東京の八王子市だけで無く、日本全国に分布しています。それは、牛頭天王と8人の王子(八王子)をまつる信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社が建立され、地域の信仰を集め始めるとともに、地名として定着していったからなのです。
牛頭天王をまつる信仰は、もともとインドから中国を経て伝わってきたものなのですが、日本では、疫病や農作物の害虫そのほか邪気を払い流し去る神として、古代より定着したようです。
中世には、その8人の子を眷属神(けんぞくしん)(主神に従属する神々)とし、あらゆる人間の吉凶を司る方位の神として全国に広がっていったと言われているのです。
八王子神社の由緒については、平安時代、延喜(えんぎ)13年(913)の秋、京都から訪れた妙行(みょうこう)という学僧が、深沢山(ふかざわやま)(後の八王子城)山頂の岩屋で修行をはじめたのですが、修行熱心な妙行の徳に感服した、牛頭天王とお供の八王子が妙高にこの地に留まる事を懇願したことから、それに応えて祭祠(さいし)を建て、牛頭天王と八王子をまつる八王子信仰が始まったのです。
八人の王子とは、おそらく神のお告げに従い、南海の天竺あたりの龍宮へ赴いた牛頭天王が、沙竭羅の三女の婆利采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた子の八人の事ではないかと考えるのです。
一方では、八王子は金官加羅国の始祖と伝えられている首露王(しゅろおう)の八人の子と言う説もあります。
首露王は、古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖です。首露王は158年間金官加羅国を治めたとも伝えられています。妃はインド阿踰陀国の王女と伝わる許黄玉であったので、他の伝説とも大いに重なる部分があるのです。
4)「ダビデの予言」”1列8:25
聖書の中でダビデは次のように、ユダ族の復活を予言しているのです。
それで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束して、『あなたがわたしの前に歩んだように、もしあなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に着く人が、わたしの前から断たれない。』とダビデは予言したのです。
また旧約聖書エゼキエル書に2本の杖が1本になる終末預言があります。「ユダの杖とエフライムの杖がイスラエルの山々で一つの国とするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。彼らはふたつの王国に分かれない」とあるのです。
主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれませんでした。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからです。
(Ⅱ歴代誌21:7)
聖書のユダの木にエフライムが接ぎ木する生命の木について エゼキエル書37章15から23に書いてあるのです。
これらから推測するに、今後の日本ではユダ族とエフライム物部族が藤原氏による封印を解かれて、復活を遂げる事になるかもしれないのです。
かつて道士である徐福の来日によって日本で実現しかけた、かつての葛城・蘇我・物部氏族による、三輪政権が目指していたもの、つまり東洋における桃源郷(理想国家)実現のチャンスが再び訪れる事になるのかもしれないのです。それは偽書とされてしまった宮下文書や竹下文書に記録されている。富士山の大噴火で失われてしまった富士王朝の伝説とも重なるのです。
桃源郷とは、ユートピアと形容されるような「おとぎの国」の事では無く、あくまでも搾取や戦乱のない正しい人間の世界だと考えていたようなのです。
それは、映画『千と千尋の神隠し』の主題歌の歌詞で歌われた内容のように、「海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに みつけられたから」といった形容がピッタリとあてはまる世界の事であるらしいのです。
