美しい日本語

 美しい日本語「敬語で論理的かつ粋に話せる」力があれば将来、味わい深い話の出来る人になれます。
日本語は、世界でも有数の「豊かな表現力」をもつ言葉だといわれています。
それは日本語には、ひとつひとつの言葉に深い意味があり、心地良い音があり、字は象形文字となっており、美しい形があるからなのです。
漢字、ひらがな、カタカナを交えて複雑で奥深いニュアンスを表現出来る言語だからなのです。
たとえば、次のような言い換えができるのが、日本語の豊かさなのです。
感動する→「琴線に触れる」、怒る→「気色ばむ」、雪が降りそう→「雪催い」、浮気心→「花心」これらには、日本語の美しさと「妙味」が感じられます。
私は息子に対しては、日常会話訓練で常に正しい日本語を話させるよう、注意してきました。
まずは目上の人に正しい敬語を使えることが大切なのです。そして「マジ」「うぜえ」などと言った汚い言葉を使わないこと、人をバカにするような言葉を使わないこと、正しい文法、5W1Hで論理的に話をすることも大切にしてきました。
結果として、生徒達は社会に出ても正しい日本語を使えるようになっておりますし、運動部出身のこともあり、目上の方には敬語で上手に持ち上げて、素直な返答ができるようになっております。
その結果、どこの有名企業に商談に行っても、受けがとても良く、有名企業からの受注も順調に増える人間に育っています。
私は教室の子ども達に対しても、正しく論理的な日本語で会話をすることを教えてきました。
正しい敬語で話さなければ、もちろん叱りますし、汚い言葉を話すことは許しませんでした。
そして最近の小学生の言葉が汚くなっている傾向に対しては、とても不快に感じています。
その原因は、父親の教育が悪いからだと私は考えます。
汚い言葉を平気で使う子ども達は、自宅でも汚い言葉を使っているはずだからなのです。
もし家で子ども達が汚い言葉を使ったならば、厳しく指導するのが両親の責任なのだと私は考えます。そして一番の心配は、言葉が汚いと、その子どもの将来までが台無しになってしまうことなのです。
汚い言葉を使う子ども達を見て、誰も育ちが良い人間だとは思いませんし、自宅でまともな教育をされて来たとも思いませんし、国語ができるとも思えません。
それどころか、とてもレベルが低い家庭の育ちだと判断してしまう危険性が高いのです。
実際に、それでほとんど合っているのではないのでしょうか。
言葉が汚い子ども達を見ると、日本人として認めたくない気持ちがおこるのは、私だけでしょうか。

 ところで、人に信頼されるにはやはり美しい言葉使いがとても大切です。
少なくとも訛りの少ない東京圏で生活をしていると、基本的にはその人の言葉使いで人格も性格も教養もわかってしまう気がします。
言い方を変えれば、使う日本語にその家庭の全てが表れてしまうのです。
ですから、子ども達に美しい日本語を教育することは、とても大事なことだと感じており、それは特にお父さんの大きな責任だと考えます。
美しい日本語にこそ、魂が宿り、人の言うことを正しく理解し、また人に真意を説明することができるからのです。
反対に、もし美しい日本語が使えなければ、人に真意が伝えられず、人からの信頼を得ることもできません。ですから信頼される為にはまずは、美しい日本語を使えなくてはなりません。
古文漢文や暗唱文集や百人一首などで、正しく美しい日本語や古い日本語に触れることは子ども達にとってもとても大切な教育なのです。
美しい日本語の会話、暗唱、日頃の親子会話から美しい日本語を話すことがとても大切です。
論理的な会話、「何故、何、」そしてことわざや名句を引用した会話ができるようになれば、なお理想です。
子ども達の責任感を高めたいと考えるなら、美しい日本語を家庭で使い、美しい日本語が話せるように子ども達を育ててあげてください。
日本語には、受け継ぐべき美しい魂が宿っているからなのです。

 そして、私がブログに書いている毎日のテーマを必須課題だと意識して1番から365番まで実行してみてください。それらをやり遂げた先には、お子さんたちの大きな成長と進化がカタチになって現れて来ている筈ですので、それを楽しみに毎日のテーマとその課題に、お子さんと一緒になって全力で取り組んでみてください。

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