いきなり水泳 109

 日本の場合には、子ども達に泳ぎ方を覚えるためには、まずスイミング・スクールに通わせる親が殆どのようです。初めて泳ぎを覚える子ども達は、全員が同じ初心者クラスに入り、カリキュラムに従い、マニュアル通りの順番で少しずつ、泳ぎ方を覚えていきます。
水泳の先生は、手取り足取り丁寧に、泳ぎ方の理論とその練習方法について、マニュアルに則って順番通りの解説を行います。
これに対して、米国流の教育方法の一例としては、「まずは習うより、慣れろ」という発想で、いきなり泳がせてみます。もし水の中に入るのを躊躇している子どもがいれば、とりあえず水の中に放り投げてみます(ジョーク)しかし、コーチはしっかりと観察し、もし本当に溺れそうなときには、もちろん的確な手助けを行います。人間は環境適応性に高く、生まれつき泳げる能力があるので、出来るだけ自分の力で習得することに注力させるのです。
もし泳げないのだとしたら、それは水に対する恐怖心や、泳いだことがないという偏見がブレーキをかけているだけだからなのです。そして試しに赤ん坊を水中で泳がせてみると、実にうまく泳げることがわかります。
人間には生まれつき教わらなくても、自分で解決しようという本能が備わっているからなのです。
ですから、その本能を上手く生かす方法を教えれば良いだけなのです。
米国でのコーチの役割は、個性を尊重しつつ、個人の能力を最大限に引き出すということに着目しています。
一方的に押し付ける教育ではなく、日本のように手取り足取り指導するようなスタイルでもなく、個人個人の実態を見ながらTPOに応じて、最適なアドバイスをして行きます。アドバイスも基本的には生徒からコーチに主体的に質問を投げかけるスタイルなのです。
結果として、日本のスイミング・スクールで泳げるようになった子ども達は、皆がほぼ同時に泳ぎをマスターし、同じようなフォームで同じように泳げるようになります。

一方、米国では個人差があり、泳げるようになるタイミングもばらばらですが、かなり早い段階で泳げるようになります。
泳ぎのフォームもばらばらで、それぞれが自分の泳ぎ方を模索しながら自分らしく、上手く泳げるようになります。
このような「いきなり水泳」の教え方は、モンテッソーリー教育の、「知る」「見守る」「助ける」というスタンスで取り組んでいる方法論とほぼ同じ考え方なのです。私は米国式の教えかたの方が、より「主体性」を育てられる良いやり方だと考えます。なぜならば、それらの体験を次の自転車や、一輪車乗り等の様々なチャレンジにも同様に生かすことが可能になるからなのです。さもなければ、何でも一からマニュアル通りにやらなければならなくなってしまうのです。
ですから日本の場合には、次の習い事もまた一から手取り足取りで進めなければなりません。
また、コーチや父親のありかたも、米国式の方が本当は正しいのだと考えます。皆さんにも一度、真剣に考えてみてください。まずはやってみる、行動力が大切なのです。ただし闇雲に挑戦するのでは無く、責任は必ず自分で取ることが前提条件となることを忘れ無いでください。

そして、私がブログに書いている毎日のテーマを必須課題だと意識して1番から365番まで実行してみてください。それらをやり遂げた先には、お子さん達の大きな成長と進化がカタチになって現れて来ている筈ですので、それを楽しみに毎日のテーマとその課題に、お子さんと一緒になって全力で取り組んでみてください。

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